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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    人前で話すという事。

    福人(部分) 松田光司作「 福人 」(部分)

    私と実際会って話した事のある人からすると意外かもしれないが、私はかつて人前で話すのが大の苦手であった。




    いわゆる内弁慶と言う奴で家では元気なのだが、人前では緊張して固まってしまい、言いたい事の半分も話せないような人であった。
    しかしそれが今では、場さえ与えられれば、300人以上を前にしても平気で30分は語れるようになってしまったのである。

    さて、この変化の経緯はどんなものであったか?

    やはり初期の頃、キーポイントとなる言葉は「自信」なのであろうと思う。

    まずかなりさかのぼってしまうと、中学のバスケ部でキャプテンになった事。
    まだこの時は、ある程度自信はついたものの恥ずかしがりやで引っ込み思案の性格のままだったように記憶している。
    しかし第一ステップは確実に踏んだ感じであった。

    それからだいぶ経ち、学生を教える経験をし出した頃であろうか?また私の意識が変わり始める。

    24~5歳の時、文化女子大で石膏取り講習のアルバイトをやり出したのだが、最初はアシスタントのような立場。
    それが何回か回を重ねるうちに、説明を交えながら講習を仕切っていく立場となっていったのである。

    しゃべらざるをえなくてしゃべる。その繰り返しであった。

    気付けば人前で話すのが恥ずかしいという感覚より、全員がシーンとなって自分の言う事に耳を傾けてくれるのが心地いい、という感覚になっていた。
    このあたりが第二ステップであろうか。

    そんな事をしている内にお茶ノ水美術専門学校に臨時講師として呼ばれたり、明星大学の非常勤講師として呼ばれたりと、大勢の前で話す回数、頻度が圧倒的に増えて言った訳である。
    この回数が増えた事、これが第三ステップであったように思う。

    最初は自分に対する「自信」を持つ事で変わっていったのだが、最終的には「場数」を多く経験する事、これが私の変化の重要な決め手となったように思う。

    しかしこれだけ変わったといいながら、未だに引っ込み思案で恥ずかしがり屋という感覚は、ハッキリと自分の内側に残っている。

    出たがるのも私、出たがらないのも私、・・・両方含めて私なのだ。
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    1. 2010/07/04(日) 09:58:21|
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