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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    私の作品の方向性が決定した経緯。

    「動」と「歩」 松田光司作

    さて今まで私の彫刻についていろいろと語ってきたが、何故今のような滑らかな表面をつくる表現となっていったかを話したい。
    (過去の作品の否定の話ではない。むしろ肯定した上での話である。)




    やはりかなり昔、大学1年の時までさかのぼる。

    ある彫刻の展覧会の会場での話である。
    当時の私の感覚と言えば、東京芸大に入ったとはいえ、半分は彫刻家の視点、半分はどこにでもいる素人の兄ちゃんの視点を持っていた。

    ある裸婦像作品を観ながら、『無茶苦茶力強いし、かっこいい作品だなぁ!何と言う抜群のセンスをしてんだ、この人は!』
    まずこれが、彫刻家の視点を持っている方の私の感想である。

    そして素人の兄ちゃんとしての私の感想は・・・
    『何か裸婦というより、ばけものみたいだなぁ。何でこんなに表面がぐちゃぐちゃのまま終わってんだ?』

    この2つの感想が当時の私には同等に存在していたのである。

    若い頃のこの感覚というのは5月26日のブログでもふれたとおり、美術にどっぷりとつかるような環境が全くなかったという事が大きく影響しているかもしれない。

    といいつつ、この後、当然の事ではあるが美術にどっぷりとつかる生活に突入していく訳である。
    気付けば、「造形的に力強くかっこいい」表面はぐちゃぐちゃの作品(制作跡、手跡の残る作品)をつくるようになっていた。

    しばらくそのタイプの作品は続いたのであるが、1年生の時のあの2つの思いは消える事はなかったのである。

    そんな中、石の彫刻を専攻するという出来事が、私の方向性を決定づける事となる。
    石の作品というのはいろいろな仕上げ方があるのだが、当然、粘土と同じような仕上げ表現は出来ない訳である。

    しかしその時、私の思いに迷いはなかった。やはり表面を滑らかに細かいところまで作り込むという石彫作品をつくったのである。
    その石の作品が徐々に、私の粘土の作品にも影響を与え、やがて変化させていく事となっていった訳である。

    きっかけとして、石の作品というのは大きな要素だが、今思えば、あの1年生のあの時、私の方向性はすでに決まっていたのかもしれない。

    18年間美術の素人として生きてきたその視点は、45になった今も消える事なく私の内側に存在している。
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    1. 2010/06/13(日) 08:33:30|
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