彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    アートという美名のもとに。

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    さて、今までもアートについては色々と書いてきたが、またあらためて書いてみたいと思う。
    ただしいつものごとく断っておくが、100人いれば100通りの考え方がある訳で、以下の文章もその多くある考え方の一つに過ぎないという事を承知した上で読んでいただきたい。



    「アーチスト=変人」 とか 「アーチスト=他人に迷惑を掛けてもいい人」 とか 「アーチスト=何をやっても許される人」 などと実にどうでもいいくだらない価値観が世に蔓延しているが、とりあえずその事に関して私の思いは 『 それがいい事とは全く思わないが、このアートの世界の現状を眺めた時、まあ世の人がアーチストの事をそう見てしまうのも仕方ないか・・・。 』 といった感じ。

    しかし、許せないのはその超くだらないどうでもいい価値観に乗っかり自分だけは本当に特別な存在なんだなどと得意げになっているアーチスト連中が実際にいたりする事。

    正直 『あんた、ホントに大丈夫か?』 と思ってしまうし、まずアーチストとしてどうであるという前に、社会に生きる一人の人間としてどうなんだ・・・と思ってしまうのだ。

    「破たんしている事=後世に残るような大傑作を作るアーチスト」 などという公式は全く成り立つ訳がないし、またそんな甘い世界であろうはずもない。

    そんな連中は99%以上がただ単に無茶苦茶迷惑な人というくくりに入る超面倒くさい人という事でしかないのだ。

    しかし困った事に必ずと言っていいほどそういったアーチストを称賛礼賛する人達があらわれたりするのである。

    そしてたいていの場合、そういった類いのアーチストの言動や行為は刺激的でインパクトもあり話題として取り上げやすいのである(例えそれが間違いなく一過性のものであったとしても)。

    しかももし礼賛し煽りまくったとしても彼等アーチストに対しては、単なる興味本位の傍観者(野次馬)という無責任な立場で眺める事が可能なのだ。

    その結果、もしアーチストが何らかの事故、悲劇を引き起こしたとしても、単なる傍観者(野次馬)であった礼賛者は「アート」という美名のもとに一切責任を取る事なく早々に退散してしまうのである。

    そしてそれを純粋な目であたたかく見守り身近でサポートしていた人達だけが何故か重い責任を背負わされたりする場合もあったりするのだ。

    延々と似たような事が繰り返されているような気がするが、いい加減目覚めてほしい。

    「アーチスト」という肩書は決して特別なものでもないし、神聖視されるようなものでもない。

    アートという美名のもとに行われる行為に対し、「まあ、アートだから・・・」の一言で済ましてはいけないものがあまりにも多すぎるように思う。
    その言葉に甘える 「ただ単に無茶苦茶迷惑な人というくくりに入る超面倒くさい人達」 には、とりあえず自分で責任を取るという当たり前の事を普通にやってもらいたいものである・・・・・まあまず無理なのは分かっているけど。
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    1. 2017/08/28(月) 10:45:38|
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