彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    アート村の住人。

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    我々は自分が意識するしないにかかわらず、どこかの世界(村)の住人の一人となっているのだ。
    それはそれぞれにおいて自由な世界のような錯覚にとらわれているが、実は知らないうちに身動き出来ないような状態に絡め取られていたりするものなのだ。



    まあこのような出だしでこのように書くと、きっとそれぞれが自分に置き換え色々な事を当てはめてしまう事であろう。


    しかしとりあえず私は彫刻家なので、身近なところでこの話を進めて行きたい。

    つまりアートの世界の住人もそれぞれが様々なアートの村の住人となっているという事。
    (「村=価値観」という事でもあるのだが、とりあえずここでは「村」という表現を使う事とする。)


    現代アート村の住人、アカデミックアート村の住人、前衛芸術村の住人、外国アート村の住人、公募展村の住人、個展村の住人、コンクール村の住人、コンセプチュアルアート村の住人、・・・等々言い出したらきりがないし、書ききれないほどいくらでも出てくる訳である。

    当然の事だが、私は他のどのアーチストとも違うしどこのアートの村にも属していないと主張する人もいると思う。


    しかし、これを俯瞰して見れば・・・


    「私は自由だ!どこの世界にも縛られることなく自由に芸術活動をしているぞ!」という村に住んでいる住人という事になるのだ。(笑)


    さてそんな前提のもと話を進めて行くが、このそれぞれの村の住人はやはり当然の事として、自分の住む村(価値観)が一番だと思っている訳である。

    まあそれは別に当たり前の感覚であるしそれはそれで良いと思うのだが、しかしここでう~ん?と思う事があって、それは他の村を全否定する事によって自分を正当化しようとする住人がどこの村にも少なからず必ずいるという事。

    結論から言ってしまえば、自信がなく中途半端で本質が見えていない人ほど他を否定したがるものであるのだが、やはりアートの世界においてもそうなのである。

    そして一応それぞれ否定の仕方も様々で何とな~く正しそうに聞こえたりする事もあるのだが、正直どれも不毛でまったく意味がない。

    それほど相手の事を気にしている暇があるのであれば、その時間を作品制作にあててくれと思ってしまう。

    価値観の違いでどちらが上とか下とか言い争っても結論は出ないものであるのだが、ただそのエネルギー量には明確な差があったりはする訳である。
    ・・・が、かといって数の多い方、エネルギーの大きい方が常に正しいという事には結びつかないもの。

    たいていの場合、こちらが否定したくなるような村の住人というのは、向こうからしてもこちらを否定したくなるものなのである。


    まあ色々と書いてきたが、言いたいことは一つ(文頭で書いた前提に戻るだけの話なのだが、、、笑)・・・意識するしないにかかわらず、アーチストはどこかしらのアート村の住人になっているのだと認識してほしいのである。

    つまり何かしらの価値観に捕らわれている(もしくは自ら好んでその価値観の中にどっぷり浸かっている)と認識してほしいのだ。

    それぞれ立ち位置がまったく違うのだと分かっているだけでもお互いだいぶスッキリするのではないか。



    と、まあ私はこんな事を考えていたりする訳だが、・・・

    この事すべてを否定されても全く構わないと思っているアート村の住人であったりもするのだ・・・・私は。(笑)
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    1. 2017/06/27(火) 16:54:13|
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