彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    「作品」に対する考え方。

    飛翔ー螺旋Ⅰ(上面から撮影)「飛翔ー螺旋Ⅰ」 松田光司作  (真上より撮影)
    以前このブログで「作品とは?」と題し、作品についての考え方を述べたがもう少し考えてみたい。



    ・・と、その前置きとして書いておくが
    当然、これは「作品とは?」と問われた時の私の極めて個人的な一つの考え方に過ぎないという事。
    これが唯一の正解であろうはずもないし、100人作り手がいれば100通りの答えが存在する。


    さて前回の文章の中で「作品とは自分の子供のようなもの(ただし小さな子供ではなく成人した子供)」と書いた。
    つまり決してヨチヨチ歩きの状態を心配して見守らなければいけないような作品を世に出す事は絶対にないという事。

    私が考えるに作品は作家がどのような意図を持って作ったのかに関わらず、作品としてこの世に生まれた瞬間、その作品独自の道を歩み始めるように思うのだ。

    確かにその歩みのスタートにおいては親でもある作者がそこに多少は関与する事もあるのだが、少なくとも未来永劫関わるという事は絶対にない。

    作り手の意思にかかわらず、遅かれ早かれ作者の元を離れて行くのである。

    そう考えた時、少なくとも作者はその作品に対し、全てのものを与え切っていなければいけないのではと考えるのだ。

    作品に生命を吹き込むとは、その作品そのものに生き抜く術を身につけさせて送り出すという意味合いも含まれているのではないか。

    こう言う事を書くと、例えば時代のほんの少し先を見て、ちょっと時代を先取りするような作品をつくるのがいいんだというようなことを言う人もいたりするが、私はそうは思わない。

    実際私は100年後の未来の人間でもないし、100年前の過去の人間でもない。今現在生きている人間なのだ。

    結局作家の出来る事というのはその時生きた時代の空気、場、人々のエネルギーと風を全身で受け制作して行く事だけなのである。

    ならばすべき事は全力でそれらすべてを作品に注ぎ込む事、・・・決して中途半端なちょっと先の未来の受けを狙ってつくる事ではないのだ。

    そこを見事にクリアーした作品のみ、その作品は有意義で独自の道を歩む事が可能になるように思うのだ。


    ・・・まあ最初に書いた通り、これも私の中にある数多くある考え方の一つに過ぎないので、また何か思いついたら書いてみたいと思う。
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    1. 2015/07/13(月) 11:12:07|
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