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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    15年ほど前に書いた文章を見つけて・・・。

    飛翔―螺旋(制作途中) 松田光司作「 飛翔―螺旋Ⅰ 」制作途中。  松田光司作

    過去のノートを整理して見なおしていたら、ふとある一つの文章に目がとまってしまった。



    その文章は私が15年ほど前に書いたもの・・・年齢で言うと私は34歳。

    内容は以下の通り。

    「私の作品には今、何かが欠けている。   何かは分からない。
    決してその分からないものを探すためにやっている訳ではないが、目的の一つである事は確かなのであろう。
    ただこういう事を言うと 『そんなものは一生かけて見つけるのさ。』 とか 『一生かかっても分かるもんじゃないさ。』 とか言われてしまいそうだが、私にとってそれは明日にでも、いや、5分後にでも分かる程度の事ではないかと思っている。
    実際には見つけるのが大変だとしても、このくらいに思っておかないとせっかく見つかるものも見つからないという事なのだ。」 (1999年11月、ノートに書かれた文章より)


    まあこんな内容だった訳だが、私にはこの文章がとても興味深く思えたのだ。


    その理由とは・・・。

    実際のところ現在の私は「自分の作品に何かが欠けている」とは全く思っていないという事実があるのだ。

    つまり久しぶりにこの文章を発見するまで「自分の作品には何かが欠けている」と思っていた事すらすっかり忘れていたのである。


    それで早速自分の作品ファイルを引っ張り出し、1999年前後に制作した作品群を眺めてみると・・・ある一つの事実に気付く。

    その事実とは、この文章を書いた時はまだ「一枚の布シリーズ」が始まっていなかったという事。

    2000年に一枚の布シリーズ第一作目を制作してから今現在、実に何とそのシリーズ総制作数は80点以上。

    これだけの一枚の布シリーズ作品が、この文章を書いた時点ではまだ一点もこの世に存在していなかった訳である。

    別な言い方をすればこれだけのエネルギーを一切外に放出する事なくすべて内にため込んだまま彫刻を制作していたという事にもなるのだ。

    その時の自分では気付く術もなかったが、まさに莫大なエネルギーを放出する直前の鬱々とした思いがあの言葉となって出てきたのであろうと思う。


    さてそう考えた時、今現在「自分の作品には何かが欠けている」とは全く思っていないと言うのは、どういう事をあらわすのか?またこの先不安ではないのか?

    ・・・これに関して私の中には一つの答えがすでにあるのだ。


    まず、先ほど80点以上の「一枚の布シリーズ作品」を制作と書いたが、彫刻作品というくくりで言ってしまえば1999年から今に至るまでゆうに300点を越える作品を制作してきているのだ。

    つまり私の内側には「一枚の布シリーズ」だけに限らず、実に数多くの作品達がこの世への誕生を待っていてくれているという事。

    この事実に気付いた今、不安に思う気持などあろうはずもないのだ。

    また「自分の作品には何かが欠けていた」という事に関しては以下のような考え方をする事も出来る。

    それは欠けていたのは作品に対してという訳ではなく、自分自身の方にであったという事。
    ・・・つまり、すでに自分の内側に存在するものを感じ取る能力が未熟だったという事をあらわしていた訳なのである。



    15年前に書いた文章を発見し、色々と思いつく事を書いてみたが、・・・
    今から15年経った自分が一体どんな事を書いているのかちょっと楽しみになってきた自分がここにいたりする。(笑)

    さて、・・・今日も制作制作。
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    1. 2014/12/04(木) 11:35:14|
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