彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    少し重たいが他人事ではない話。

    夕暮れの白鳥 撮影 松田光司

    さて、今日はいつか書こうと思っていたのだが、正直避けてきた話。


    名前等、絶対に明かす事は出来ないが、とりあえず二つほど例をあげて語ってみようと思う。


    それは老いた芸術家の話。

    当然これは自分の身にも起こりうる事なので決して他人事ではない話なのだ。

    また同時にこれはすべての芸術家に当てはまる話ではないという事を前置きとして言っておきたい。


    20数年前の話、とある具象作家、80歳近くのA氏。

    A氏は若い頃から抽象的な作品はつくらず、正統派の具象作品をつくり続けてきた作家。

    そのデッサン力に裏打ちされた作品は単なる人の形の説明に終わらず、観る者を強く引き込む魅力を放っていたのだが・・・。

    とある展覧会でA氏の作品を観た時、私はショックを受けてしまったのだ。

    『デフォルメ?抽象化?形に味わいが出た?』・・・と思いたかったのだが一番適切な言葉は 『デッサンがくるった?』 であったのだ。

    そうなのである、その作品はまったくデッサンのくるった具象作品に変貌してしまっていたのである。

    実はその時、展覧会場でA氏ともお話させて頂いているのだが、昔と変わらずデッサン力に裏打ちされた正統派の具象作品である事に誇りを感じているようであったのだ。

    当然、若輩者の私には何も言う事は出来なかった。


    さて次の話。
    やはり20数年前の事、とある具象作家、80歳を超えるB氏。

    A氏と同じくB氏も正統派の具象作品をつくり続けてきた作家であった。

    そんなB氏がとある激しい運動をするポーズの作品を制作されていたのだが、・・・

    「中々、この運動をしている雰囲気が出ないんだよね。」と四苦八苦されているご様子。

    さて、この制作途中の作品、私から言わせればどう考えてもその運動をしている雰囲気が出る訳がないのだ。

    何故なら、80歳を超えた作家本人が鏡の前で、その激しい運動のポーズとは似ても似つかない棒立ち状態の姿勢を取り、それを形の参考にしようとしていたのだ。

    当然、私はアドバイス出来るような立場にはなかった訳であるが、周りの近しい人達はその制作状況と作品を見て一体何と言っていたのであろうか?


    実は他にも似たような例をいくつも見て来ているのだが、・・・それぞれの作家の若い頃の素晴らしい作品を知っているだけに何とも悲しく切なくやるせない。

    しかしこういった作品ですら、きっと取り巻きの連中は『味わいと深みが出た』などと言って持ち上げてしまったりするのであろう。

    ものすごく違和感を覚えてしまうのは私だけではないはず・・・と思いたい。


    さてさて・・・
    果たして自分自身が数十年後、どうなっていくのか全く分かるものではないが、とりあえず身内だけには本当の事を素直に言ってくれるよう今からお願いしているところである。
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    1. 2013/09/14(土) 22:08:34|
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