彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    愚痴について。

    鉄の棒 撮影 松田光司

    よくある話だが、「愚痴」というものはどうも人からそういった話を聞かされればそれは当然のように「愚痴」と認識するのだが、今度はそれと似たような内容を自分が人に話す時には自身の中で「愚痴」を言っていると認識していない事が多いように思うのだ。


    ・・・さて、これを聞いて「いやー、そんな人もいるんだ。」・・・と思った人、

    ハッキリ言ってそう思ってしまった人こそまさに、自分が「愚痴」を言っていると認識出来ていない人なのである。

    そんな訳で当然、自分がしゃべった内容に対し、人から「愚痴ばっかり言って」と指摘されようものならムッとするし、場合によっては怒りだしたりしてしまう訳である。

    『私の場合は他の人が言っている愚痴と違って、こんな大変な目に遭ったんだという状況を説明しているだけであって、決して愚痴ではないんだ。』

    ・・・と言いたいのかもしれないが、世間一般ではその事を総称して「愚痴」という呼び名で呼んでいるのである。


    さてその愚痴に関しての事だが、正直ちょっとくらいなら愚痴を聞かされるのもどうという事はない。

    しかし、これが長時間、しかも毎回同じ愚痴を聞かされるとなると結構きつかったりするのだ。

    もしそれが、ものすごく共感出来る話であるならば、話も盛り上がったりして、お互いスッキリしたりするのだが、全く共感出来ない場合は特にきつい。

    しかも『おかしいのは相手の方だけではなく、あなたの方も結構おかしいよ。』などと指摘しようものなら、怒りの矛先は間違いなくこちらに向かってしまう。

    そんな時、ついつい会った事もない人に対する不平不満に同調してあげてしまう自分がいたりするのだが、それはそれであとから自己嫌悪に陥ったりするのだ。

    まあそれでも、その行為が少しは相手の気持ちの負担軽減に役に立ってくれているのだろうと自分を無理やり納得させたりしている訳である。


    さてさて、何となく上から目線でこんな事を書いていると、そういうおまえは愚痴を言わないのか?・・・などと言われてしまいそうだが・・・

    「そりゃ当然、言いますよ。とりあえず今回のこの文章、・・・単なる愚痴話ですから(笑)。」
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    1. 2013/08/26(月) 10:02:16|
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