彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    ふと、「アリとキリギリス」について考えてみた。

    2013年5月の庭

    ご存じイソップ寓話「アリとキリギリス」。
    アリは働き者で、キリギリスは遊んでばかりの怠け者という事になっているが、・・・勝手にちょっと違う解釈をしてみたい。


    確かに働き者のアリからしたら、優雅に音楽を奏で、のんきに過ごすキリギリスは遊んでいるようにしか見えないのかもしれない。

    しかし、実際にはその音色を聴き、心癒されている多くの動植物がいたりする訳である。

    つまりそのキリギリスの行為は生きるために行う食糧調達という行動と直結していないだけで、間接的には生きるための行為と結びついている訳である。

    キリギリスの奏でる音色は明らかに癒しとなり明日への活力となっているのだ。

    それをある一つの価値観だけで「遊び暮らす怠け者」とレッテル貼りをしてしまうのはいかがなものであろうか。

    実際の物語の結末も「遊んでいたんだから当然食糧なんかやらない。」というのと「まあかわいそうだから食糧をめぐんでやるか。」といった感じのものがあるらしいのだが、・・・どちらの結末にせよキリギリスは「価値のある行為を一切まったくしていない。」という有り得ない大前提のもと語られてしまっているのである。

    自分は知らず知らずの内に恩恵を受けておきながらそれを恩恵とも思わず当然の事と思い、その連中がいざ本当に困っている時には知らん顔、もしくは高飛車な態度・・・そこはそれでいいのか?

    ・・・とまあいろいろ力説してみたものの、イソップの作った話は寓話であり教訓話、例え方も簡略化され極端になっているだけの事。

    本来、論点をすり替えてまで突っ込むところではないのだが、・・・ついつい『もしキリギリスがアーチストだったら?』という視点からこんな事を思ってしまったのでした。
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    1. 2013/06/11(火) 10:52:01|
    2. 思想
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    コメント

    価値観?

    私は子供の頃、絵ばかり描いて、農家の親から、絵を描く者は、道楽者、または、馬鹿者。
    勘当されて、ある人に拾われ、子供もいる親父になった今でも、プロとして彫刻や絵を描いて生きています。
    子供も、とんだ変わり者で、算数全くダメ!絵は全国展で賞貰ったり、発想が夢があって素敵です。 
    子供の夢や才能には、手出しはしないけど、先入観を持たずに見守っています。
    1. 2013/09/06(金) 15:19:31 |
    2. URL |
    3. 蛍 #295weFjw
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    Re: 価値観?

    コメントありがとうございます。
    本当に価値観の違いというのは何とも埋めようのない溝のような気がしますね。
    昔はどんな人でも「話せば分かる」と思っていた時もあるのですが、「話しても分からない」人達がいっぱいいる事を知るようになりました(笑)。
    蛍さんもお子さんも最終的には「我が道を行く」という感じで素晴らしいですね。
    理解してくれる人が周りに少しでもいるというのは本当に重要な事だと思います。
    1. 2013/09/06(金) 23:38:23 |
    2. URL |
    3. 具象彫刻家 #-
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