彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    作品に値段をつける事に関して。

    千波湖と川 撮影 松田光司

    この事に関して、色々このブログでもふれて来ているが、またあらためて別な視点から書いてみたい。

    さて、芸術家がお金の話をしたりするのは何故こうもタブー視され、また俗っぽい事のように思われてしまうのであろうか?

    世の中には実際、汚いとみなされているお金が出回っているという事実も認めざるを得ないのだが、それはそれとして原点に立ち返りお金という存在を考えてみれば、・・・


    一見、俗っぽいものの代表のように見えるお金という存在も、そのルーツを辿っていけば元々は物々交換から始まったもの。



    本来そこに俗っぽさや汚さなど存在する訳もなく、原点に立ち返ればただあるのは「価値のあるもの」とまた別な「価値のあるもの」との等しい関係での交換が存在するだけであったのだ。

    また別な見方をしてしまえば、交換するのは物と物というだけでなく、お互いの感謝の気持ちであり、また畏敬の念であったのだ。

    この人は自分の出来ない事を「やってくれた」、「つくってくれた」、「もたらしてくれた」、「守ってくれた」、「考えてくれた」、「教えてくれた」、「感動させてくれた」、「共感してくれた」、「思ってくれた」、「伝えてくれた」、「癒してくれた」、「助けてくれた」・・・等々。

    書き出せばもっといくらでも出て来る「尊い価値のあるもの」・・・つまり、お金を否定するという事は、これらすべての「尊い価値のあるもの」を否定する事に等しいのである。

    これほど多くの人からの助け、恩恵にあふれた世界に住んでおきながら、芸術という名のもとにおこなった行為だけが果たして「お金」とは別世界の何か特別なもの、・・・と言い切れるのであろうか?

    これら「尊い価値のあるもの」を否定できるほど芸術の世界はそんなにご立派な世界であるのか?


    私には芸術をお金に換算するなんて俗っぽい事と考えてしまうその心の方こそ、如何なものであろうかと思えてしまうのだ。


    ・・・という訳で、私は展示された作品の作品タイトルタグに値段が書かれている事にまったく抵抗を感じない  ・・・というより私が自由気ままにつくった作品に対し、他の価値ある行為や思想や物と同等に価値を認めてもらえる事のほうにむしろ誇りとありがたみを感じているのである。
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    1. 2013/04/22(月) 18:50:49|
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