彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    価値判断の基準となる彫刻。

    松田光司彫刻展より(日本橋高島屋)松田光司彫刻展より 「 麗静―想 」 <日本橋高島屋6階美術工芸サロンにて>

    さて、日本橋高島屋での個展も無事終了し、ホッと一息。
    毎度の事ながら、多くのお客さまにお越し頂き、本当に感謝。

    という訳で、今日はそんな個展開催中のお話、・・・親しくしているとある目上の方との会話から。


    M氏:「松田君の彫刻もこの頃ずーっとみてきているけど、なんか松田君らしさが出てきたというか、みただけで松田君の彫刻って分かるようになった気がするんだけど、・・・。他の人の彫刻みてもなんか違うなって気がするし・・・。」

    と、いったような内容。

    確かにこのM氏の言う通り、「松田らしさ」がより出てきたという側面もあるにはあると思うのだが、実はこれに関して別な側面からの見方も出来るのだ。


    つまり、変わったのは私の彫刻という訳ではなく、・・・実はM氏の「見る目」の方。


    元々、「彫刻」などとは全く無関係の世界にいたM氏なのだが・・・
    何だかんだでM氏が私の彫刻をみるようになってから10年近くの時が経つのだ。

    しかもM氏は私の作品を一点持っているのである。


    つまりM氏は自分では全く意識しないままに、私の彫刻作品の理解者になっていたという事なのだ。

    その結果、今まで「彫刻」という単なるひとくくりでしか見ていなかった見方に「○○がつくった彫刻」という見方の概念が加わる事となった訳である。

    ・・・そう、明らかに私の彫刻は、M氏が他の彫刻をみる時の価値判断基準となる「ものさし」となったと言えるのだ。


    考えてみればこれは彫刻の見方に限らずいくらでもある事なのだ。

    例えば、食べなれた食材、使い続けた道具、乗りなれた乗り物、等々・・・どれもこれも、それらしさが徐々に出てきたというより、接し続ける事によって、それらしさをこちら側が理解していったという事が言えるのである。

    そしてそれが自分の中の一つの「ものさし」となり、他と比べる時の基準となっていく訳である。


    彫刻家となった私と再会するまでは、彫刻とまったく無縁であったM氏がどこかで誰かの彫刻を眺める時、・・・

    そこには必ず「松田光司の彫刻」というものさしが存在する事となったのである。(・・・いいか悪いかは別として)
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    1. 2013/04/11(木) 00:55:03|
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