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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    再び言っておきたい。

    11月18日の奥多摩 撮影 松田光司

    フェイスブックを見ていてまったく嫌になる時がある。


    以前にも少しふれた事だが、「社会に警鐘を鳴らすような記事」のアップについて。('12.5.30参照)

    それを載せた側には明確な意図があり、ある意味それを煽り危機感を持たせようと明らかに見え見えな策を弄している訳である。

    記事を掲載した側にとってのみ、見事に都合のいい情報ばかりをつなぎ合わせた内容について、突っ込みどころ満載ではありつつ、『まあこんな一方的で間抜けな記事、信じる奴なんていないだろう。』などと思っていると、・・・礼賛するコメント、シェアの多さに驚かされてしまったりするのだ。

    この人達はこの記事の真逆の意見、もしくはそこで姑息にもわざと隠され、書かれなかった情報を知っているのだろうか?

    ・・・というか多分、見る側も無意識に情報を遮断しているのかもしれない。

    つまり、それを見る側の人間もやはり自分にとって都合のいい記事、情報しか見ようとしていないのである。

    こうなってくるとある意味、盲信、狂信といった類いの宗教のようなもので、洗脳されきってしまった人に対し、どんな反対意見、もしくは中立的な意見を言っても、聞く耳を持たなかったりする訳である。

    立場上、意見を変えられない人達もいるのかもしれないが、かといって保身を図るためだけに、その情報に対し極端に偏った部分だけを煽動するように流し続けるというのはいかがなものであろうか。

    また、どう考えても自身の知らない世界の事について、一つの意見、情報だけを鵜呑みにするのはいかにも稚拙で思慮が足りないように思う。

    以前にも書いたが、受信者という存在と発信者という存在は全く別なポジションにいるものであり、意識を根本から変えなければいけないのである。

    受信者が間違った情報を信じてしまった責任は受信者自身に返るだけなのだが、それを発信者として発信した瞬間にあり得ない数の人を巻き込んでしまう事態となってしまうものであり、その責任の重大な事といえばとてもとても比べられるようなものではないのだ。

    責任を取る気が全くないならば、「シェア」をする事などもちろんの事、「いいね」をクリックするのもどうかと思ってしまう。


    数千の「いいね」、数百の「シェア」がなされた「社会に警鐘をならすような記事(リンク)」については、特に特に充分な検証をしてみる事をお勧めするものである。

    完全に加害者になっているにもかかわらず、後になってから「いや、知らなかったし・・・」で済まされるほど責任は軽いものではないのだ。
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    1. 2012/12/14(金) 09:42:53|
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