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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    ゴミ?

    奥多摩にて 撮影 松田光司

    ある晴れた爽やかな秋の日の午後、私は街中で車を走らせていた。


    ・・・と、その途中で小さなトラックが私の車の前に合流してきたのだ。

    『最近のトラックは随分と排気ガスも少なくなったなぁ。』・・・などと思いながら運転していると、荷台に載せられた大きな袋からハラハラと何かが舞い落ちて来るではないか・・・。

    『ん、何だ?』と思ってよく見てみると、・・・それは小さな木の葉だったのだ。

    どうも前を走るトラックは造園屋さんのようであった。

    排気ガスではなく木の葉を美しく華麗に撒き散らしながら走るトラック・・・

    何とも優雅でほのぼのとした気分になってしまったのだが、よく考えてみればこの軽やかに街中を舞う木の葉は、元あった場所に存在する事を許されずゴミとして集められたもの。

    当然、整備された街中に落ちてしまったこの木の葉の呼び名もゴミ?・・・という事になるのか。


    しかしまあ考えるまでもないが、落ち葉とは本来決してゴミではないのだ。

    勝手に人間側の都合でゴミと呼んでいるだけに過ぎないのである。

    実際、原生林の中で落ちる木の葉の事をゴミとは呼ばない。


    ・・・と、ここでまたさらに考えてみれば、当然の事として人間以外の動物にとって元々ゴミなどという概念は存在しないのだ。

    彼ら動物の営みによって出されるすべてのものは自然に還元されるものばかりである。

    自然界にとって不要と思われるものを日々出し続けているのは、唯一人間だけなのかもしれない。


    ・・・などと言ってみても、この人間世界の豊かな暮らしを考えた時に、ゴミをゼロにするというのは机上の空論としか思えなかったりもするのだ。

    つまり質素倹約の精神でつつましく生活していればゴミがまったく出ないのかと言えば、・・・

    例えば日本の江戸時代などは、それこそ世界に類を見ないくらいリサイクルシステムの確立された理想の都市であったと言われているのだが、実際には当時から江戸の海辺には埋め立て地があり、そこにゴミが延々と捨てられ続けていたのだ。

    理想のリサイクル都市・江戸でさえそんな状況なのだから、結局、今現在に生きる我々が出来る事はゴミをゼロにする事ではなく、出来得る限り減らす努力をする事なのか・・・。


    さてしかし、・・・今現在、困った事に江戸時代と違って捨て場所さえないようなジャンルのゴミがこの世界には存在してしまっているのだ。

    正直、私は専門家ではないので、(賛成派、反対派、双方の主張する意見があまりにも乖離し過ぎているため、)正邪の判断は付きかねるものであるが、・・・もうすでに存在してしまっているゴミの処理を何とかしなければいけない事だけは双方異論のないところであろうと思われる。

    この処理に困ったゴミを何とかしようという話し合いや研究でさえも否定してしまうほど人間が愚かでない事を望むものであるが、・・・中々、その進捗状況は一般の我々には見えて来ない。


    ・・・などとまあ、そんな事をあれやこれや考えていたら、

    私の運転する車の前を、ハラハラと優雅に舞い落ちる木の葉達は、・・・やはりゴミなどと呼ぶのはふさわしくないなぁ、と思えてしまった。
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    1. 2012/11/13(火) 17:24:18|
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