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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    つくり手の存在意義。

    松田光司彫刻展より(ギャラリー渓) 撮影 松田光司松田光司彫刻展会場より、手前作品「 生誕―螺旋Ⅰ 」 (ギャラリー渓)

    ここ最近、たまたま続けて何度か『つくり手の存在意義』という事について人と話す機会があった。


    やはり、去年の震災の事が大きく影響している事は間違いがない。

    あの時には本当に個人としての無力さを思い知らされ、また、つくり手として出来る事など果たしてあるのだろうか?・・・と随分悩んだものである。


    さて、まず結論から言ってしまうと、やはり作家というのはこの世界において間違いなく存在する意義があるからこそ存在しているのだと私は考えている。

    思うに何かを創作し、作品として世に送り出すと言うのは、極めて勝手で個人的なもの、・・・と捉えてしまう考え方もあるが、しかし私はそうとは思っていないのである。


    つくり手が何かを創作するという事は、内側から湧きあがってくるつくりたいという強い衝動と思いに突き動かされ、抑えようとしても抑えきれなくなったものが、作品という形を取って世に出て来る訳である。

    ではなぜそいういった強い思いが湧いてくるのであろうかと考えた時、実はそのつくり手の生きる社会(世界)がそうさせているのだと考える事も出来る訳である。

    つまり、つくり手というのはこの地球上に生きる限りまず間違いなく、関わった国や時代、環境、世の情勢、思想、等々の影響を受けている訳で、その世界から放出される莫大なエネルギーを、それぞれに感じ取り、それぞれがそれぞれの手法で目に見える形の作品として変換し、世に送り出している事になる訳である。

    また、そんな中つくられる作品というのは、日常という世界では抱えきれなくなったひずみが形となって現れている部分もあるように思うのだ。

    つくり手と呼ばれる人達だけが特別な存在などとはまったく思っていないが、その時代や場所のエネルギーを、ほんの少しだけ、人より敏感に多く感じ取る事の出来るジャンル(職種)の人達である事だけは確かなのであろうと思う。


    もしかしたら、つくり手というのは、社会から必要とされているから存在するのではなく、存在してしまっているから必要とされているのかもしれない、・・・とも思う。
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    1. 2012/02/17(金) 18:25:26|
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