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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    緊張。

    再興卵―螺旋Ⅰ 割り出し途中 松田光司作「 再興卵―螺旋Ⅰ 」 石膏割り出し途中。

    いつの頃からであろうか、そこそこの緊張をする事はあっても、極度の緊張をする事がなくなった。


    まあ、これを簡単な言葉で言い表してしまえば、図々しくなったという事なのであろうか。


    前にも少しふれているが、子供の頃は人見知りが激しく、本当に引っ込み思案であったのだ。

    当然、たくさんの人の前で話すなどとんでもないという感じで、心臓が飛び出しそうになるくらい緊張したものであった。

    しかしそれも色々な場数を踏んで、学生の内に少しは克服出来た部分もあったのだが、彫刻家になってからがまた大変だったのだ。


    『彫刻家として極度の緊張』・・・という事で思い出すのが、まず第一にやはり初個展の時。

    今からおよそ19年前、宇都宮ギャラリーシエールが私の初個展であったのだが、それはもう緊張の連続であった。

    初日にオープニングパーティーがあったのだが、誰と何をしゃべったのかもよく覚えておらず、パーティーの料理も全く喉を通らなかったのだ。

    個展会期中もお客さんが来る度に緊張し、1日が終わるたびにぐったりと疲れたものであったのだ。


    ・・・しかし、個展も30回を超えると、当然、このような事は全くなく、緊張するどころか、お客さんが来て下さるのを楽しみに待っていたりするのだ。



    さて、次に思い出されるのが、彫刻を設置した時に初めて行われた序幕式の時。

    制作者としてスピーチを頼まれていたため、壇上の椅子にすわり待機。

    会場を見渡せば、200~300名くらいはいるのではないかという大人数・・・しかも何だか肩書の立派そうな人達ばかり。

    祝辞が次々と述べられ、いざ私の番になった時には緊張もピークに達し、頭の中は真っ白に。

    何を話しているのだか訳が分からなくなった上に、最後の締めあたりで言葉に詰まってしまったのだ。

    シーンと静まり返る会場の中、私の「えーっと、えーとですね。・・・うーんと・・・」みたいな言葉だけが虚しく響いていたのだ。

    その後のパーティーでは、「大丈夫だよ、大丈夫。」・・・と何人かの人に慰められる始末。


    ・・・しかし、この経験がよほど懲りたのであろうか、その後の色々なスピーチの場では、多少の緊張はあっても、どちらかと言うと注目される快感を覚えながら、まったく平気でスラスラと話が出来るようになったのだ。


    さて、他にも、彫刻家として緊張した話はまだあるのだが、長くなるのでまたいつか書いてみたいと思う。・・・お楽しみに。
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    1. 2012/01/12(木) 23:51:27|
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