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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    枯渇する?

    アスファルトの水たまり 撮影 松田光司

    学生と話していると、「自分の中がからっぽになってしまって、作品が出て来なくなったらどうしよう。不安だなぁ。」というような言葉が出てきた。


    この言葉を聞いて私も考えてみたのだが、確かに過去を振り返った時、『あれ?今、自分の中に何もないかも・・・。』と思えるような時期は何度かあったのだ。

    実際、そんな時はほとんど制作もしていなかったりするのだ。


    ・・・しかし、かといってその状態が延々と続いた事は未だかつて一度もないのである。


    この事から推測するに、自分がつくり手として生きていこうと思っている限りにおいて、自分の内側に眠る創作の源が完全に枯渇する事はないのではないかと私は考えるのだ。

    つまり、つくり手という存在は、意識するしないにかかわらず、何かものを見たり聞いたりふれたりした時、必ずつくり手としての視点と感性を持って接している訳である。

    その経験は、どんな小さなで事あろうと一つの種として心の中に植え付けられ、やがて丁度良い時期に芽を出し花を咲かせ実をつけるものであろうと考えられるのだ。

    要するに自分の周りに起こるすべての事柄というのは、これから出て来るであろう作品の材料となりエキスとなってくれているという事を意味する訳である。


    まあ、とはいえどんなに自分の内側に作品の種が数多く眠っていたとしても、当然の事として規則正しく一定の間隔で作品が出て来る訳ではなく、ちょっと間があく事もあれば、極端に間隔が詰まって出て来る事もあるのである。


    『あれ、自分の中に何もないかも?』・・・と焦る必要はないのだ。

    作品というのは、つくり手を通し、その作品にとってベストなタイミングを見計らい、出るべくして出て来てくれるのである ・・・と私は思っている。
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    1. 2011/12/09(金) 23:50:16|
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