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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    なぜ「手」や「首像」から?

    結実子さんの手 撮影 松田光司

    以前にも少しふれたが、彫刻を習おうとする初心者に最初に教える題材は、「手」か「首像」である事が多い。


    何故、この題材を選ぶのかと言えば、・・・

    作るのが簡単だから?・・・いや、違う、「手」や「顔」というのはもっとも自分の身近にあるという事が、実は選ばれる最大の理由となっているのではないかと思うのだ。

    つまり、普通に生きている中で手や顔というのは、ある意味一番もっとも見ているものであるはずなのに、・・・
    いざ、それを彫刻として作ろうとした時、思っている以上に出来ないものだと気付かされる事になる訳である。


    そうなのである・・・ここで、何故出来ないのだろうと考える所から彫刻探求への道が始まっていくのである。

    そう言った意味において、「手」や「首像」を最初の題材に選ぶのはベストな選択なのであろうと思えるのだ。


    さて、では実際、彫刻家をやっている私からすると、「手」や「首像」というものはどうなのかと言えば?

    ・・・やはり決して簡単に出来るものではないのだ。

    手や顔というのは、表現したいと思うものがもっとも端的に出やすい場所であるのだが、それはつまり、その作品の手と顔を見れば、その作家の伝えたい部分がわかったり、また、だいたいの力量がわかったりするという事を意味するのだ。

    この手や顔を極めていこうとする過程において、彫刻全体としての造形力も上がっていったりするのである。

    要するに彫刻家だからといって、簡単に軽々と「手」や「首像」をつくっている訳でなく、延々と探求し続けながら制作をしているという事なのだ。


    思うに、初心者に「手」や「首像」つくらせるというのは、初心者コースのふりをして実は、いきなり上級者コースをやってもらうようなものかもしれないのだ。

    つまり、最初から広くて深くて遠い終わりなき世界を経験させてしまっていると解釈する事も出来る訳である。

    しかし、探求しても探求してもその先がまだ延々とある世界というのは、実は延々と楽しめるという事も意味する訳で、・・・その入口こそがまさに、「手」、「首像」をつくるという行為であると考えられるのだ。
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    1. 2011/11/03(木) 23:23:06|
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