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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    ヌードモデル。

    裸婦クロッキー04.11レリーフ(部分・テラコッタ) 松田光司作「 裸婦クロッキー'04.11レリーフ 」(部分)   素材 : テラコッタ

    今はヌードモデルをお願いする事もほとんどなくなったが、昔はよく裸婦像作品をつくったものである。


    さて、そんな訳で今日はヌードモデルのお話。

    私が初めてヌードデッサンを経験したのは高校3年生の時、・・・美術系予備校での事であった。

    当然、極端に緊張したものである。

    ・・・で、当時、美術の世界の常識など全く知らない体育会系の私は、ヌードデッサンと言っても本当に全裸になる訳ではないのだろう・・・などと勝手に思い込んでいたりした訳である。

    しかし、いざデッサンの時間が始まり、モデルさんが一枚羽織っていたガウンのようなものをサッと脱ぐと、・・・なんと全裸。

    『うわっ、本当に裸になるんだ !?』と一人どぎまぎしていたものであった。


    まあ、始まりはこんな感じであったのだが、慣れとは怖いもので、やがて数カ月も経たないうちにヌードモデルと言っても何も緊張しなくなるのである。

    それがいいかどうか別として、とりあえずモチーフの一つであるかのような感覚でモデルさんをみるようになるのである。

    つまり、モデルさんが裸である事がどうであるというより、作品をどうしていこうか、と言う事の方が重要な事項となってくる訳である。

    その後、高3から浪人と何度となくヌードデッサンは経験していく事になるのだが、何と言っても本格的な勉強は大学からであった。


    何度か東京芸大彫刻科の授業の事はふれているが、最大の特徴は、ヌードモデルを使う頻度の多さであろうか。

    一年生の時でも、前期後期それぞれ数週間ずつヌードモデルを使う授業があったのだが、2年生以降は午前中の授業は年間を通してすべてヌードモデルの人が入る授業であったのだ。(ちなみに今現在はどうなのか全く知らない。)

    しかも、上の学年になると、学生の人数さえそろえば、午後もヌードモデルを頼む事が出来たのである。

    モデルさんに支払うモデル代の事を考えると、学生の頃と言うのは随分贅沢で恵まれた環境にあった訳である。

    このくらい集中して裸婦像を制作する事が出来たという経験は、何事にも代え難いものがあり、今現在、彫刻家としての基礎部分はこの時築き上げられたといってもよいであろうと思っている。

    当然、大学を出た後など、これほど自由にモデルさんを使える環境もなくなっていったのであるが、それとともに私の興味もどんどん違う方向へと進んでいった訳である。


    しかし今思い返しても、あの頃、大学でモデルをして下さった方々は、個性的で信念もしっかり持っている人ばかりで、本当に魅力的な人が多かったなぁという印象が残っている。

    モデルさん達には、今さらながらあらためて感謝である。
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    1. 2011/10/30(日) 20:38:40|
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