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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    価値観の違い。

    ゆり 撮影 松田光司

    場所はあえて言わないが、昔、ある場所で展示の話があった時、担当者の方と打ち合わせをしていて、少し驚く事があった。


    まあ、確かにその場所は、ギャラリーでもなく美術館でもないので、目的として美術作品を鑑賞しようなどとは全く思わないような場所であったのだが、・・・。

    その担当者の方いわく、

    「本当に不特定多数の色々な方が来られますので、具象作品の中でも展示をご遠慮させて頂きたいものがありまして、・・・。
    えーまず首像作品、そして裸婦像、あと裸婦のトルソなどですね。」

    ・・・との事。

    これを聞いた時、『ウーン、そういうパターンか。』とは思ったものの、一応理由を聞いてみると・・・。

    「そうですね、まず首像作品というのは、首が刎ねられてさらし首になったものが置いてあるような印象を抱いてしまう人もいるんですよ。当然みんながそう思っている訳ではないのですが、そう思う人もいるという事でして、・・・。
    あと裸婦像ですが、やはり女性の像にしても男性の像にしても、裸というだけで嫌悪感を覚える方もいらっしゃるんですね。
    そうなると、当然トルソなどは裸でなおかつ首がなかったり手や足が途中で切られたりしている訳ですから、もう完全にダメでしょうね。本当に申し訳ないのですが、・・・。」

    ・・・との事。

    まあ、ほぼ予想通りの答えであったのだが、・・・実際こういう事を言われたのは初めてであったので、やはり私も少し驚いてしまったという訳なのだ。


    こういった事柄に対し、確かに色々と反論する事も出来るし、美術の存在意義とは?などと論戦を仕掛ける事も出来る訳だが、この担当者、もしくはこの場所に対して文句を言っても全く意味がない訳である。

    もし私が、首像と裸婦像とトルソ作品しかつくらないような作家であったならば、ものすごく反論したのかもしれないが、その場所にピッタリ合うような作品は、いくらでも今までつくってきている訳である。

    私は、相手のニーズに全く合わないようなものを強引に無理やり置いてしまえ・・・などというコンセプトで創作活動をしている訳ではないので、その部分にエネルギーを注ごうなどとは全く思わなかったのだ。

    自分の主張さえ押し通す事が出来ればそれが一番なのだと考えている作家もいるが、はっきり言ってそれも数多くある価値観の内の一つに過ぎず、決してアートにおける至上の価値でもなんでもないのだ。


    またもう一つ別な観点から言わせてもらえば、もし仮にその時その場所に、首像、裸婦像、トルソの作品を無理やり置いたとしても、正直その程度の事で、特に批判の嵐が吹き荒れるような世間からの過剰な反応は一切なかったであろうと思うのだ。

    ・・・というのは、その後、全く別な所で似たような雰囲気の場所での展示では、実際、どんな作品を置いても何の問題もなかったのである。


    要するにこれは、それぞれの価値観には違いがある、・・・という話であるのだ。

    数日前にも書いたが、相手の価値観を一切認めようともせず、自分の価値観だけは認めろ、・・・などと言っても何の説得力も持たない訳である。

    私からすれば、まだ若い内に、『こういった価値観を持った人達も存在するんだなぁ。』と知る事が出来て良かった、・・・という事であろうか。

    正しさは一つだけではないのだ。
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    1. 2011/10/29(土) 21:44:31|
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