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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    まわりからの見られ方って?

    10月のイチョウの葉 撮影 松田光司

    20数年前、大学を出てすぐの頃は、まだバブル景気の余波があり20代半ばの若造であった私でさえ、それなりに彫刻作品が売れたりしたものであった。


    その頃は、そのまま彫刻家として食べていけると思いこんでいたため、特に就職する事もなく、フリーの彫刻家として活動をしていた訳である。

    まあたまに彫刻家の先生方の手伝いをしたり、アルバイト的な造形物制作を請け負ったりもしたが、基本は自分の作品を制作し、個展で作品を売ったり、また彫刻制作の依頼を受けたりしながら生活をしていたのである。

    当然、その頃の自分としては、団体や組織に一切属さず、一人で彫刻家として生きている訳だから、そこは胸を張って自慢出来る部分であると思っていたし、また彫刻家として生きている事に強いプライドを持っていた訳である。


    ・・・ところが、その数年後にはバブルの余波もすっかりなくなり、そんな状況にも陰りが見え始めたのである。

    少し焦りも出始めたそんな頃、ありがたい事に先輩から大学の非常勤講師をやらないかと声がかかったのである。


    当然、喜んでその話を受けた訳であるが、・・・・この時、私の周りにいる何人かの人達の反応を見てちょっとショックを受けてしまったのだ。


    その何人かの人達の言葉を一つにまとめて書いてしまうと以下のようになるのだが・・・。

    「本当に良かったねー、だって今まで肩書きなかったもんね。これでやっと食べていけるんでしょ?プー太郎のような生活もおさらばだね。彫刻家って言われても得体の知れない怪しげな感じがするけど、大学で教えているっていうと信用に足る人って感じだよね。やっと社会的に見てもおかしな人じゃなくなって本当に良かったね。」・・・等々の言葉。

    他にも色々言われた気がするが、要約してしまえば、・・・30歳前後で彫刻家として生きている人はちょっとへんな人で、大学の非常勤講師をしている人はまともな人・・・といった見られ方であったという事か。


    非常勤講師をやる前は全く気付かなかったが、ここまで、胡散臭い目で見られていたとは、・・・・。

    当時の私としてはそれなりにショックな事であったのだが、・・・今の私からすれば、まあそういう所からの視点もあるものだと若いうちに分かって良かったのかな・・・という事か。


    ただ一つ言える事は、その作家の社会的な肩書の立派さと、作品の素晴らしさはまったく何の関連性もなく無関係であるという事。

    そうなのである・・・作家に本来、余分な肩書など必要ないのだ。
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    1. 2011/10/21(金) 22:30:00|
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