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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    物の価値。

    大学の木 撮影 松田光司

    ある意味、物の価値ほど曖昧なものはない。


    物というのは、それが欲しい人にとっては絶対的な価値を持ったお宝にもなったりするが、いらない人にとってはゴミ同然の物となったりもする。

    とはいえ、世の中には市場というものがありそこを物が流通して、万民にある程度は同等な価値観が共有される事になる訳である。

    これは、その流通する物の量、そしてそれに関わる人の数、これが多ければ多いほど、その価値は万民の認めるところとなるのだが、・・・例えば美術品、これはどうなのであろうか?


    この観点から考えれば、まず流通する美術品の数も決して多いとはいえない。

    そしてさらに、それに関わる人の数も多くはない、・・・というか、圧倒的に少ない。

    つまり、美術品の価値というのはある意味、ごく少数の限られた人達の中だけで決めた特殊な価値であって、万民の認めるところの価値とはまったく別な世界を形成しているとも考えられる訳である。


    確かにより多くの人が欲しがる物の価値が上がるのは分かる。

    しかし、美術品というのは地球上の何十億人が欲しがっているから上がる価値という訳ではなく、極端な事を言えば、10人ほどの富裕層が欲しがるだけで、一気に信じられない価値(値段)となってしまう事もあるのだ。

    つまりそれは、逆に言ってしまうと、その10人ほどの富裕層の誰もがいらないと言ってしまえば、二束三文の価値になってしまう可能性も充分ある訳である


    こう考えると美術品の価値とは一体何なのだろうか?・・・とも思ったりする。


    私が考えるに、結局、美術品の本当の価値を決めるのは、数百年数千年といった「長い長い年月」なのであろうと思う。

    驚くほど高額な美術作品、そして極端に安い美術作品・・・今、こんな2種類の美術作品があったとしても、未来においてその価値が入れ代わる可能性などいくらでもある事なのだ。

    「長い長い年月」が費やされるという事はつまり、より多くの人々がそれに関わる事を意味する訳で、何百年と経てば最終的には一部の人たちだけが定めた価値ではなくなる訳である。


    ・・・さて、今の時代に流通する美術作品は、はたして人類にとって宝となるものが多いのか、ゴミとなるものが多いのか、・・・それは時間のみが知る。
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    1. 2011/09/25(日) 23:26:39|
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