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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    浪人時代。

    トンボ 撮影 松田光司

    さて、古い話になってしまうが、私が浪人していた頃ついて書いてみたい。


    自分でもそんなに経ってしまったのかと驚くばかりだが、なんともう27年前の話。


    美術予備校で彫刻コースを選択していた私の日常は、それこそ朝から晩まで彫刻制作、
    ・・・ではなく、石膏デッサンを描き続ける毎日の繰り返しであったのだ。

    彫刻コースだから常に彫刻をつくっていたという訳ではなく、基本はデッサンだったのである。

    一方向からみた形さえ捉える事の出来ない人に、360度全方向から形を把握しなければいけない彫刻がつくれる訳がないのだ。

    そんな訳で、粘土で何かを制作するというのは、月1回のペースもなかったのではないかと記憶している(・・・多分)。


    そこで行われる塑像というのは、細かいところまでつくり込む事はせず、全体感を把握して、大きな動きの部分で形のおかしいところがないようにする訓練をしているような感じであった。

    そのため、完成した作品の表面に時間をかけて制作した痕跡が、そのまま残ったような作品をよしとする傾向があったように思う。


    ・・・そうなのである。

    美術予備校という場所で習うのは美術大学に受かるためのテクニックであり、そこは作家としての生き方や表現方法を追求していく場ではなかったのだ。


    この美術予備校のテクニックだけを教えるやり方が、日本の美術の弊害となっているという人もいたりするのだが、私から言わせれば、この程度の事でつぶれるようでは美術の世界では生きていけないし、はっきり言って大学に入ったあと、いくらでも自由に自分の表現を探求していく時間はあるのだ。

    ただ、何年も浪人してしまうと、美大合格をゴールのように勘違いしてしまう学生も中にはいたりする事実もあるが、そこはやっと入り口に立ったというだけに過ぎないのである。


    まあ、このように、浪人時代に通った美術予備校というのは、それぞれの美大の傾向と対策を徹底的に研究する場所であり、受かるためのテクニックを一から叩き込まれる場所であったという事なのだ。


    当時の私は、今ほどポジティブに物事を考えられる余裕はなかったので、この浪人時代が楽しかったかと言えば、決してそうとは思っていなかったのである。

    ・・・・が、今現在の視点から振り返ってみれば、私の人生にとってこの経験は、マイナスどころかプラスでしかないのだ。

    また、『自分とは何者なんだ?』・・・と、真剣に考え出すきっかけとなったのも、この浪人時代であったように思う。


    浪人はたった一年だけであったが、まだ色々思うところもあるので、その内、違う切り口でまた書いてみたいと思う。
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    1. 2011/08/20(土) 20:52:34|
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