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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    方言。 Part3

    雨が降り出す前に 撮影 松田光司

    さて、以前にもこのブログで取り上げたが、また方言について。('11.4.14'11.4.15参照)


    私と妻は、普通に標準語を話す都会の人として、東京で出会った訳である。

    しかし、実態は二人とも地方出身者であり、当然、それぞれ田舎へ帰れば、普通に出て来るのはその地方の言葉。

    妻の出身地は岩手県一関市、私の出身地は愛知県春日井市。


    さて、そんな二人が結婚する前に、初めて妻の方の実家に行った時の事である。

    その時私は、岩手県というか東北に行くのも初めてで、・・・当然、東北弁などというのはテレビでしか聞いた事がなかった訳である。

    『まあ、彼女(妻)もいるし、同じ日本だし、言葉が分からないなんて事もないだろう。』とたかをくくっていたのだが、

      ・・・・甘かった。

    最初は、妻の両親が、一体何をしゃべっているのだか半分以上、聞き取れなかったのである。

    何度も聞き返すのは失礼と思い、よく聞き取れなかったところは、ニコニコと笑ってごまかしていたりしたのだが、・・・実は私に対して質問していたんだと後で分かったりして、・・・かなり、ハラハラ、ドキドキの初対面であったのだ。

    正直その時、妻の通訳がなければ、ほとんど何を会話したのか分からなかったかもしれない。

    まあ、そんな事をあとで妻に話すと、「えー、そんなに分からないものなんだ!」と驚かれたりしたものだが、・・・その後、二人の立場が入れ替わった時、似たような体験をする事になる。


    今度は、妻が私の実家愛知県、そして祖父母や親せきのいる三重、京都へと足を運んだ訳である。

    ・・・すると妻は、祖父母や伯父、叔母と楽しそうにニコニコ会話をしている様子、・・・
    私は、『ああ、大丈夫かも。』と思ったのだが、後で、妻の話を聞くと、
    「何言っているかほとんど聞き取れなかったけど、とりあえずニコニコと笑ってごまかしちゃった。」との事、
       ・・・って、結局私と同じじゃん!?

    やっぱり、中部関西方面に住む人の言葉と、東北方面に住む人の言葉は、全然違うんだ!
    ・・・とこの時あらためて思った訳である。


    ちなみに今現在は、あんなに分からなかった言葉にもすっかり耳が慣れ、もう笑ってごまかす事も、・・・流石にない。
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    1. 2011/08/07(日) 18:29:19|
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    4. | コメント:2
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    コメント

    青森の人

    松田さんご無沙汰しています。毎日暑いですね。明日の掘り出しの記事も楽しみですが、方言でいろいろ思ったことがありました。僕は兵庫に単身赴任で心理学なるものを大学院で勉強してました。子どもも小さく僕は毎日一人で生活し、自分の子どもに会いたくて寂しい思いをしながら大学院に通っていました。だから、他の学生と違って「これだけのリスクを背負ってやってんだから絶対にもととってやろう!」って心理学と体育とそれ以外にもおもしろそうな講義にはとにかく参加してました。名古屋に帰らない土日は京都の相国寺で座禅をしてました。また、全国からいろいろな教員がきていましたので、たくさんの友達を作ろうって夜は自分の部屋で、また、友だちのアパートで鍋やらカレーやらを作って話しました。そこでであったのが青森の方。その方がおっしゃるには「僕は東京の大学を出ました。でも、東京の人たちは自分の方言を馬鹿にして言っていることをなかなか聞いてくれませんでした。でも、関西に来たら、関西の人たちは自分の方言をどこへ行っても変えないかわりに私の青森弁も何を言っているのか聞いてくれようとします。とても居心地がいいです。」・・・と多分そんな事をおっしゃったのだと思います。僕もなかなか意味が聞き取れなくて何度も聞き返しましたから。それでもそうやって聞き返していくとその方もわかるように話してくださる。そんな繰り返しで聞き取った言葉です。明石家さんまさんとか,決して関西弁を標準語にしようとされない。でも、他の方言もありなんじゃない!?って関西にはそんな「ふくよかさ」もあるように感じました。関東にそれがないとはいえませんけどね。ちょうど阪神大震災のあった後だったので、友だちや彼女を亡くした関西の方とも友だちになりましたが「なくなったもんは取り返さなあかん」と力強くおっしゃっていました。もちろん取り返せないひとものこころがありますが、そんな力強さも感じました。我が高森台でも東北の皆さんに募金をしました。でも、高森台小学校として一過性のモノとしてはいけないと思い四月から「もったいない運動」をしています。子どもたちを育てる僕たちは、少しでも役に立ちたいです。入り口と出口が違っている話になってしまいましたが、一人の先生として何もできないからこそ方言からいろいろ思ってしまいました。
    1. 2011/08/09(火) 19:15:58 |
    2. URL |
    3. 吉田勝俊 #-
    4. [ 編集 ]

    Re: 青森の人

    吉田さん、コメントありがとうございます。本当に暑い日が続きますね。
    吉田さんは兵庫で過ごされた事があったのですね。僕も兵庫には友達がいて、何度か泊まりがけで遊びに行った事があります。兵庫の言葉の印象は、(友達のしゃべる印象かもしれませんが、)人を包み込むようなやさしさがあったように感じました。
    東京が特に冷たいとは思いませんが、行った場所にもよるのでしょうね。
    僕が通った芸大彫刻科は、やはり地方出身者が多く、東京生まれという学生は4分の1くらいしかいなかったと思います。
    そのせいか、比較的、地方の言葉には寛容であったように思います。
    でも考えてみると、関西出身以外の人は、だいたい私も含めかなり早い段階で標準語に変わって行きましたね。
    山形出身の友達もいましたが、東京で一年間浪人生活をしてきたせいなのか、大学に入った時点ではまったく山形弁はしゃべっていませんでした。
    もしかしたら、その友達も、東京に出てすぐの頃は、いやな思いでもしたのでしょうかね。
    岩手出身の妻も言っていましたが、今と違って当時は、地方の言葉を話すのはかっこ悪いという風潮が強かったように思います。
    まあ、あとやはり標準語に対する憧れというのも確かにありましたしね。
    でも、それぞれの地方の言葉が今でも残っているというのはいいですよね。
    標準語だけで話すより、相手の事をより理解しようと努力する分だけ、逆に一層理解が深まるという事があるのかもしれませんね。
    とりあえず、標準語を話してしまっている私ですが、地元の言葉も大切にしていかなければとあらためて思いました。
    1. 2011/08/10(水) 16:18:11 |
    2. URL |
    3. 具象彫刻家 #-
    4. [ 編集 ]

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