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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    一定の見方だけで見ることはない。

    妖精卵 空―火(石膏・部分) 松田光司作
    「 妖精卵 空―火 」 (石膏 ・ 部分)

    作品を制作している時、常にある一定の見方だけで制作し続ける事は絶対にない。


    当たり前の話であるが、その時々の状況により、作品制作時の見方は変わるのである。

    まず、木やシュロ縄、針金などで、彫塑制作のための芯棒を組む訳である。
    この時は、それなりに先のビジョンを考えてはいるのだが、まだ特殊な見方をしている感じはない。

    しかし、いざ荒付けが始まると、ある意味スイッチが入った感じになるのだ。

    この荒付けの時、細かいところは一切見る事はない、・・・・強いて例えるならば、ものすごく遠く離れた所から、荒付けされる彫刻を眺めている感じとでも言おうか。

    自分が巨人になったような感覚でもあり、逆に作品そのものが、実際の大きさに関係なく、自分の手のひらにおさまっている感覚でもある。

    結局、荒付の時、見ているものは、その彫刻の核となる部分の、勢いや流れ、外側に向かうパワーなどを見ているのである。

    ・・・したがって細かい部分はこの時、一切気にしていないのである。


    さて、当然、そのまま突っ走っては、いつまで経っても荒付けのまま、・・・という訳で、途中で見方が変わる。

    簡単に言ってしまえば、自分の大きさも彫刻の大きさも、本来のサイズに戻る感じ。

    荒付けの時の興奮からいったん冷めるような感覚であろうか、・・・冷静な目で全体を見直すのである。

    その流れの中、少しずつ、細部にも手が入り出していくのだ。


    しかし、本当の意味での細部の作り込みに入る時は、また全く違う見方に変わる。

    荒付けの時と逆で、自分が小さくなるような感じで作品に接近していく感覚(というか、作品の中に入っていくような感覚)になるのである。

    この状態になって初めて、細部の作り込みが出来るようになるのだ。


    大きく分けて3つくらいの見方の例えを出したが、実際にはもっとこれが、何段階もある感覚なのである。

    それともう一つ言うならば、この見方というのも、この順番通りに一通り見て終わりなどという事は絶対にない。

    細部を作り込んでいる時も、いきなり荒付の時のような見方で見たりする事もあるのだ。

    簡単に言うならば、作品に対し、私の意識が大きくなったり、小さくなったりを色々と繰り返しながら、作品制作を進めているという事なのである。



    たまたま作品制作の事で書いてみたが、作品制作に限らず、何か物事を進めようと思う時、ある一定の見方だけで見ていては、その進み方に限界が出てきてしまうのかもしれない、・・・と、漠然と思った。

    多分、何事にも見方のシフトチェンジは必要な気がする。
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    1. 2011/06/07(火) 18:12:02|
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