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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    その時、見えているもの。

    修正前の石膏作品の表面 撮影 松田光司

    粘土で彫刻をつくり、それを石膏取りという作業を通し、石膏の作品にする、・・・という事は、何度かこのブログでもふれているが、今日はそれに付随する話。


    石膏取りもやればやるほど上手くなり、失敗する事もほとんどなくなる訳だが、石膏取り作業の一環としての修正箇所が全くなくなるという事はまずない。

    まあ、石膏の型を割り出している最中に作品の一部が少し欠けてしまうという事は、たまにある事なのだが、そういった分かりやすい修正ではない修正箇所が、たいてい毎回あるのである。


    それが何かと言えば、石膏作品の表面に出来てしまう気泡による小さな穴の存在。(小さい穴で0.1ミリくらい、大きい穴で2~3ミリくらい)


    これも石膏取り作業のやり方によっては、ほとんど気泡も出来ない事もあるのだが、どうしても数ケ所の気泡は出てきてしまうものなのである。

    これをどうやって直すかと言えば、一生懸命一つ一つ石膏で埋めていくのである。

    あまりに穴が多く出てしまった場合は全体に摺り込むように石膏を塗りつける事もあるが、穴を埋める作業のために形がぼやけてしまっては意味がない。

    そのため、そう簡単に一気に出来る作業でもないのだ。

    ちなみに、前々から言っている通り、作業としての石膏取りが終わった後、私の場合、さらに形を追求し詰めていく。

    そのため、あらたに石膏の表面を削ったりするのだが、その時、削った奥から隠れていた気泡の穴が出てきてしまう事があるのだ。

    当然、表面に現れてしまったその穴は、また石膏で埋める訳である。

    つまり、石膏の直付けの作業というのは、ある意味、気泡の穴との戦いでもあるという事なのである。


    さて、ここで自分自身驚く事実がある。

    それは学生の頃つくった昔の石膏像作品。
    ・・・・何に驚くのかと言えば、・・・完成した作品であるのに、何と気泡の穴だらけなのである。

    しかも大きめの2~3ミリの穴が、石膏像全体にまんべんなく空いているのである。

    要するに、その頃は自分自身その穴に全く意識がいっていなかった、というか全く気付いていなかった、・・・という事なのだ。

    作品は学生なりに、細かいところまで作り込んであるにもかかわらず、その気泡はそんままほったらかしなのである。

    正直、信じられない感じもするが、やはり、何を見ようとしているのかによって、見えるものは全く変わってしまうという事なのであろう。


    もしかしたら、今の私の眼には見えていないものが、20年後には見えている?・・・なんて事も、あったりするかもしれない。
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    1. 2011/06/06(月) 21:20:09|
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