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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    同じように芸術と言われるものなのだが、・・・。

    庭で見かけた花 撮影 松田光司

    普段、少し疑問に思っている事について書いてみたい。


    例えば、プロのバイオリン奏者。

    このプロのバイオリン奏者などはまさに芸術家である。
    そういう人は譜面通りの演奏のみならず、即興演奏も出来るし、また、心の感じるままに弾いたとしても、素晴らしい演奏だったりする訳である。
    当然それを聞く側の人間としても、その演奏に心地よさを感じるし、気持ちのいいものだったりするのである。


    例えば、プロの画家。

    言うまでもなく芸術家である。
    そういった人が描く絵は、それこそ心のおもむくまま自由に表現されていたとしても、そこになんとも言えない説得力がある訳である。
    当然それを観ている側の人間としても、その絵に感動したり、何かを感じさせられたりする訳である。


    さて、ジャンルは違えど、同じように芸術として存在している訳だが、・・・これを一般の人がこの二つの芸術をそれぞれ表現した場合どういう事になるのかと言えば・・・。


    もし、バイオリンを何の演奏技術もない人が、心のおもむくままに弾いたらどうであろうか?

    ・・・当然、聞くに耐えない、雑音以下のひどい音を聞かされる事になってしまうのである。


    では、もし、油絵を何の描画技法もない人が、心のおもむくままに描いたらどうであろうか?

    ・・・当然、見るに耐えない、落書き以下のひどい絵を見せられる事になってしまうのである、・・・

    ・・・と言いたいところだが、何故かバイオリンの時とは違い、『自由な発想の素晴らしい絵。』などと言って称賛されたりする事があるのである。


    この違いは一体なんなのだ?

    バイオリンは技術がいるけど、絵画は技術がいらないから?・・・いや、とんでもない、当たり前の話だが、絵画にもマスターすべき技法は思いっきりある。

    ではなぜ、こういった反応の差が出てしまうのか?

    これも結局、長年かけて刷り込まれた感覚なのであろう、・・・「絵なんてものは自由に描けばいいんだ!」・・・と。

    芸術なんて習えるものではない、などと言う人もいるが、その入口(要するに基礎の部分)までは、習う事が出来るものなのである。

    こういう事を言うと、そんなもの習うから、自由な発想が出来なくなるんだ、・・・などと言う人もいたりするのだが、基礎の部分を習って発想が貧困になるならば、それはその人がその程度のそれまでの人だった、というだけの事。

    基礎を習うというのは、自由自在に表現出来るようになるための、自分自身の引き出しが増えるという事なのである。


    私からすれば、バイオリンの基礎も絵画の基礎も同じ次元のものに見えるのだが、いかがなものであろうか。

    ・・・『その考え方が古いんだよ。』と思う人は、そう思ってもらって結構だが、そう考える事そのものも、私からすれば新しくも何ともない事ではあるのだが・・・。
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    1. 2011/05/30(月) 19:33:03|
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