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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    学生のころ聞いた話。

    妖精卵 四季ー螺旋(花器・部分) 松田光司作「 妖精卵 四季ー螺旋 」 ( 花器 ・ 部分 )

    私が学生の頃、先輩から聞かされて違和感を覚えた話である。


    とある留学生が「何で裸婦像なんて作るの?もう世の中にはいっぱい人間がいるんだから、これ以上『人』なんてつくったって意味ないじゃない。」というような事を言っていたらしい。

    ちなみにその留学生は、そんな事を言うくらいの人だから、当然、ばっちりコンセプトで理論武装した抽象彫刻をつくっていた訳である。


    しかし思う、その留学生は自分がやっている事には一切疑問がなかったのであろうか?


    人体をモチーフとしていないと言うだけで、自分だけは何か特別な事でもやっているとでも思ったのであろうか?


    ちなみにその人の作品は、当時でも特に目新しさがあるという訳でもなく、明らかに何らかのモチーフから着想を得ているのが、ハッキリと分かるような作品であった。

    その考えの根底には「具象=古い、抽象=新しい」という固定観念にとらわれたカビ臭い思考が支配しているように感じた。

    私の事で言えば、まず「新しい、古い」と言う価値観に主眼を置くような事は絶対にない。

    さらに言うなら、「~と比べて新しい」という発想そのものが貧困なものに感じてしまう。

    この留学生からすると「人体をモチーフにしている作品と比べて、人体ではないモチーフから着想を得た抽象だから新しい」とでも言いたかったのであろうか。



    世の中には、人体というモチーフを通し、ありとあらゆる表現を模索、探求している作家が数え切れないほどいる訳である。

    その作家たちは、それぞれにそれぞれしか出来ない表現で人体彫刻を制作している訳である。

    そんな作家に向かって一派一からげに「これ以上『人』なんてつくったって意味ないじゃない。」と言ってのけた訳である。

    この留学生が今どうなっているのか全く知らないが、当時、まだ自分の思想も考えも定まっていなかった私でさえ、この人の言葉には違和感を感じたものである、・・・が、違和感がありすぎて、逆に今でもこうして覚えていたりもする。
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    1. 2011/05/05(木) 20:22:28|
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