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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    肩書きは、・・・。

    5月のイチョウ

    言葉と言うのは、それぞれに意味があるのだが、同じ言葉でも受け取る人の経験、おかれている状況、思想、考え、等々によって意味も変わってしまう。


    例えば、「アーチスト」とか「芸術家」とか「彫刻家」とか、・・・その言葉を聞いて受け取る印象というのは100人いれば100通りの印象を持って受け止められる訳である。

    私は、その時々において自分の事を「彫刻家です。」とか「芸術家です。」とか「アーチストです。」とか言ったりするが、以前にもふれた通り、自分本位でそう言っている訳ではないのだ。

    自分が何者かであるという事を、相手に伝える時に、多分最も伝わりやすい呼び方なのであろうと思い、そう言っているに過ぎないのだ。


    私は日常生活の中において、彫刻をつくり、個展を開催したり、グループ展に参加したり、依頼制作を受けたり、彫刻を教えたり、・・・とまあ、こんな生活を送っている訳だが、こういった事をする人を何と呼べばいいのか?・・・と言う話なのである。


    つまり私としては、こういう日常を送る人の呼び方が、その時代、その場所、そこに住む人たちにとって、伝わる呼び方であるならば何でも構わないのである。


    よく、美大出たての若者が、自分の肩書きを何とすればいいのか迷っている話を聞くが、私からすれば、まあどうでもいいというか、とにかく何かしら伝わりやすい肩書きであるならばそれでいいものだと思っている。

    したがって、「はぁ、『芸術家』だと?何気取ってんだよ!」 とか 「ふっ『アーチスト』?自分からアーチストと名乗るとは、・・・。」 と思う人にはそう思わせておけばいいのである。

    最初にも言ったとおり、100人いれば100通りの言葉に対する印象がある訳である。

    一々気にしていたらきりがない。

    しょせん肩書きなどというのは、時代や場所、人が変われば、全く捉え方も変わってしまうもの、
    ・・・さらに言うならば、いま我々が彫刻と称し、制作している造形物でさえ、価値観や意味づけも変わっていくものなのである。

    であるならば、私が本当にこだわりたい部分は肩書きでも呼び方でもない、・・・やはり彫刻という造形そのものであるのだ。

    それは言葉にならない言葉を詰め込んだ形なのである、・・・私の肩書きがどうであろうが、私の事をどう呼ぼうが、その造形さえ残れば、  ・・・ 私はそれでいいのである。
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    1. 2011/05/02(月) 18:10:30|
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