FC2ブログ

    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    必要とされる事。

    庭木の新芽 撮影 松田光司

    私の住むこの世界、彫刻家という職業に定年という概念はない。


    60歳を過ぎても、65歳を過ぎても、身体が続く限り、彫刻の制作に打ち込み続けるのである。

    まだ、46歳の私ではあるが、そんな未来が当然で、それ以外は考えた事もない私にとって、サラリーマンの人達の定年後の人生ってどんなものなんだろう、・・・と思ってしまう。

    人それぞれ色々なパターンはあるにせよ、基本的には今まで打ち込んできた仕事が、定年を境に『はい、おしまい。』となってしまうのである。

    どう考えても気が抜けてしまうのではないか?

    よく燃え尽き症候群などと騒がれた時期もあったが、そうなってしまうのも分かるような気がする。


    一般によく聞く話として、働いているうちから趣味を見つけておくとか、地域でもコミュニティに積極的に参加しておくとか、色々言われるが、・・・私は次のように考えている。

    いつもよくこのブログで言っている事になってしまうのだが、結局、
         『 人から必要とされているかどうか 』
    というのが大きな判断基準の分かれ目になるのではないか、・・・と思うのだ。

    確かに定年後、思いっきり時間も出来て、色々な事が出来るぞ!と思うかもしれないが、長すぎる休暇は飽きが来るものなのである。

    もしかしたら、現職の頃にはものすごく夢中になった趣味にも飽きが来てしまうかもしれないのだ。


    しかし、もし自分が人から必要とされていればどうであろうか?


    それは間違いなく生きがいとなるはずなのだ。

    普通に人生を眺めてみれば、『赤ちゃん、幼稚園、小、中、高、大学、社会人』と、どの時代の事を考えてみても人から必要とされていない時期はないのである。(自分なんか必要とされていないと勘違いしている時期はあるかもしれないが、・・。)

    であるならば、退職後も負担にならない程度に人から必要とされるような事をするのがベストなのではないか。

    「必要とされる」というと大げさなので、「誰かに喜んでもらえる」と言った方がいいのかもしれない。

    自分のためだと、何となく長続きしない事も、誰かが喜ぶ顔を見たくてやる事は、自然に長続きするし、自分自身も楽しくなるものである。


    まあ、私は定年もないので、この道をただただ突き進んで行くだけなのだが、やはり誰かの喜ぶ顔を見られるというのは、ある一つの原動力となっている事は間違いがない。
    スポンサーサイト



    1. 2011/04/26(火) 18:13:41|
    2. 思想
    3. | トラックバック:0
    4. | コメント:0
    <<グループ展参加のお知らせ。 | ホーム | 芸術の世界は自由?>>

    コメント

    コメントの投稿


    管理者にだけ表示を許可する

    トラックバック

    トラックバック URL
    http://mitsuji415.blog28.fc2.com/tb.php/371-46e2f7ea
    この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)