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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    芸術の世界は自由?

    春先の庭 撮影 松田光司

    以前にもふれているが、私は芸術の世界がまったくの自由などとは思っていない。


    強いて言うなら、自由と言う枠があり、その中でだけ存在する自由、・・・とでも言おうか。

    最も分かりやすい例えを出せば、前にも書いたとおり、芸術は自由なのだからと言って、芸術のために人を殺してもいいなどと言う事には絶対ならないのだ。

    こんな極端な例でなくとも、『 芸術とはこうあるべし 』とか、『 ~でなければ芸術にあらず 』とか、芸術論を振りかざし、芸術を型枠にはめてしまうような言葉や縛りは山ほどあるのだ。

    それは当然、革新的と思われている現代アートの世界にも当たり前に存在するものなのである。

    笑い話のようだが、『 芸術は自由でなければいけない。 』と言ってしまうのも一つの縛りではないか。
    また、『 既成概念をぶち壊さなければアートじゃない。 』と言うのも一つの縛り、・・・こんな事は言い出したらいくらでも出てくるものなのだ。

    さて、それでも芸術は自由な世界と言えるのだろうか?

    まあ確かに、心の中は自由なのだが、これは芸術家に限らず、普通に生活している人ならば誰でも心の中は自由なのである。


    では一体何故、芸術は自由な世界と呼ばれるのであろうか?


    これを考える時、芸術の世界の中だけで考えていては答えが出ない。

    つまり一般社会と芸術の関係を考える必要があるのだ。

    ・・・といいつつ、私の経験した小さな話になってしまうのだが、・・・。

    これは一度にととどまらず、何度も言われ、何度も耳にした事なのだが、

    『芸術なんて遊びじゃん。』・・・という言葉。

    実はこの一言が、すべてを表しているような気もするのだ。

    これに関連してよく言われるのが・・・『これがなくても生きていける。』・・・といった言葉。


    この二つの言葉に対し、芸術をやっている側からすれば、色々と反論('10.9.16参照)する事も出来るが、確かに一般の人がこういう意識を芸術に対して抱いているのも理解できる。

    『我々は今日の糧を得るために必死で働いているのに、芸術家は訳の分からない物を作ったり描いたりしてのん気に暮らしている。なんて自由なやつらなんだ。』といったような見方。


    また、もう一つの別な観点からの芸術家の捉え方であるが、ある時期から、一つの流れとして芸術家は反社会的、反権力を掲げるようなメッセージを作品に込める事をよしとする風潮が広まった。

    それは社会や権力だけに向かわず、既成の概念をぶち壊すのが最高のアートなんだという流れも生んだ訳である。

    当然、普通に生活している人たちからすれば、芸術家の破壊的なその作品やその活動は現実から乖離した訳の分からないもの、・・・と捉える見方がされるようになった訳である。

    ・・・つまりそれは、『芸術家は、自由奔放な世界に生きている連中。』という存在に見られるようになったという事につながるのだ。


    私も以前は『芸術は自由なんだ』と考えていたが、こうして書き出してみると、芸術とは社会との関係性において自由にやっているように見えるだけなのかもしれないと思ったりもする。

    実際に、ありとあらゆる、・・・暗黙のルールや掟、枠、しばり、約束事、・・・等々、色々ある中で制作していかなければいけないのだ。

    しかし、だからと言って、最初にもふれたとおり、心の中は自由な訳である。

    色々と制約はあるのだが、多分その制約がある事すら全く感じさせず、創作活動をやってのけてしまうのが芸術家なのであろう。

    この地球上に人として生まれた瞬間に、誰もが、好むと好まざるとにかかわらず、あらゆる約束事に縛られた世界の住人となる訳である。

    その約束事や縛りに対し、えんえんと疑問を投げかけ、少しでも窮屈さを解消しようともがき苦しむのが芸術家なのかもしれない。
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    1. 2011/04/25(月) 15:13:42|
    2. 芸術
    3. | トラックバック:0
    4. | コメント:4
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    コメント

    あくまで私見ですけど

    芸術は自由ですよ。
    自分のなかの何かを、ありとあらゆる表現方法で感じさせることができるじゃないですか。
    でも、それぞれの手法には、必ず約束や決まり事があって、ほとんどの場合、それ通りにしないと評価できない代物ができてしまいます。
    つまり、自由イコールルールとも言える訳で、何かしらの束縛は受けなくちゃならない。
    それが、答えと思って今までやってきてます。

    自由でノールールだったら、多分それは混沌(カオス)じゃないかと。
    極端な話、人を実際に突き刺して晒すと、「痛みと暴力」を表したとも言い出しかねない訳で。

    そういう意味では、サラリーマンを今は自由にやらせてもらってます。割とやりたいようにしてます。ただ、思う通りに仕事するには、相手の都合抜きに進めることはできません。
    それと芸術を一緒にしちゃおかしいかもしれないけど、それが答えじゃないのでしょうか?
    1. 2011/04/25(月) 18:41:14 |
    2. URL |
    3. こうだ #-
    4. [ 編集 ]

    Re: あくまで私見ですけど

    そうなんですよね。どの世界の人でも何かしらの不自由や制約を感じながらも、その世界で生きているのですよね。
    それでも『心の中は自由』・・・この一言に尽きるのではないでしょうか。
    芸術家はその『心の中の自由』を外界に対し、分かりやすく提示する事が出来るジャンルの人たちなのかもしれませんね。
    実際には、普段、制作する上において『約束事や縛り』について意識している訳ではないのですが、たまにこういった事を考えてみるのも面白いなぁと思っています。
    1. 2011/04/26(火) 17:28:29 |
    2. URL |
    3. 具象彫刻家 #-
    4. [ 編集 ]

    遊びだからこそ 見る人もワクワクする

     私はこのブログのファンです。でも、初めてコメントをします。私は、マン・レイやミロ、歌川広重などなど大好きです。でも、芸術には全く詳しくありません。ただ、ゴッホの糸杉なんか見ているといやなことがあっても、なんか悔しくても「よっしゃ!また這いつくばってがんばるぞ」って思えます。ミロのガチャガチャした絵を観てたら、ワクワクしてきたりして・・・。マン・レイは平和を祈ってか唇の飛行機を描きました。でも、ラディカルでなきゃいけないなんてことはないと思うし、私はそういうことは関係がないと思います。このことは音楽のジャズやロックにもいえることだと思います。遊びだからこそ、私たちはワクワクやまたがんばるぞって思えるんだし、それは、松田さんたちにしかできない すごいことなんだと思うんです。だから私たちは、そこから元気をもらって、またがんばっていられるんですよね。みんなの生きる力を与える作品をたくさん創ってくださいね。
    1. 2011/05/12(木) 21:42:13 |
    2. URL |
    3. 近いうちにお会いできるのを楽しみにしています #-
    4. [ 編集 ]

    Re: 遊びだからこそ 見る人もワクワクする

    コメントありがとうございます。
    いつも勝手な事ばかり書いているブログですが、気に入って頂けてとてもうれしいです。
    芸術は、決して芸術に詳しい人だけが見るものではないので、そういった視点から色々と書いていければいいなぁと思っております。
    これからもどうぞ気軽にコメントを下さい。
    あと、私もいつかお会い出来る機会を楽しみにしております。
    1. 2011/05/13(金) 11:42:27 |
    2. URL |
    3. 具象彫刻家 #-
    4. [ 編集 ]

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