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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    「~を与えたい。」という表現について。

    森の風船(立像・部分)  松田光司作「 森の風船 」 (立像・部分)

    実はこの「~を与えたい。」という表現、前々からずっと気になってはいたのだが、議論もつくされているようなので、あえてふれないようにしていた。


    しかし、今回の震災にあたり、やはりこの言葉にあらためて違和感を覚えた。


    この言葉は主にスポーツ選手やアーチストなどから発せられる事が多いのだが、例えば「感動を与えるようなプレーをしたい」とか「勇気を与えるような演目をしたい」など。


    しかしここでハッキリと言っておくが、まず基本中の基本として、感動というのは押し付けがましく『与える』 というような類のものではない。

    感動というのは受け手の方が心の奥底で感じるものなのである。
    そして実際に感動した時、その受け手が「感動を与えてもらえた。」という表現を使ったりする事もある、・・・といったものなのだ。

    それで、受け手が「~を与えてもらえた。」と表現しているからといって、送り手が「~を与えたい。」などと言ってもいいという理由にはならない。

    もし送り手がこのような表現をしてもいいと言うならば、受け手の方も 「感動したからお金を与えたい。」 と言ってもいい事になるはずだが、決してそのような高飛車な表現をする事は絶対にない。


    そうなのである、「感動を与えたい。」などという言い方は、あまりにも高飛車な言い方なのである。

    正直、一体何様のつもりだ?・・・と思ってしまう。



    さて、話を最初に戻すが、震災の数日後くらいにあるスポーツ選手が、

    「被災された方に勇気を与えたいと思っている。」

    と、当たり前のように発言していた。

    本人には全く悪気がない事は分かるのだが、やはり私はものすごく違和感を覚えるものである。

    言葉では表現できないほど肉体的にも精神的にも参り切っている被災者の方々に対して 「~を与えたい」 という表現、・・・私の中では絶対に有り得ない。



    「~を与えたい」という言葉の前に、別な言葉を色々と当てはめてみればすぐに分かるはずである。

    この表現がいかに高飛車な言葉であるかを・・・。
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    1. 2011/04/05(火) 18:45:15|
    2. 思想
    3. | トラックバック:0
    4. | コメント:2
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    コメント

    まったく同感です。
    「与える」発言を聞くにつけ、相手の立場に立って考えられないものかと思います。
    CMでタレントが「ひとつになろう~」的なものも「みんな言うから俺も」感がしてどうしても素直に入って来ないです。言わない芸能人のほうが黙って被災地に行ってボランティアしてたりするからなおさらです。
    1. 2011/04/20(水) 10:30:13 |
    2. URL |
    3. まっちゃん #-
    4. [ 編集 ]

    Re: タイトルなし

    自分でこの記事を書いてから、テレビや新聞等でこの「~を与える」という表現に気をつけて見ているのですが、本当にみんな普通に使っているんですよね。これだけ使われていると、当たり前の言葉として定着してしまいそうな気がしますが、「やっぱり違和感はありますよ!」と言い続ける事も必要なのでしょうね。
    1. 2011/04/20(水) 10:45:44 |
    2. URL |
    3. 具象彫刻家 #-
    4. [ 編集 ]

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