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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    素材を生かす。

    大木 撮影 松田光司

    彫刻の世界においては「素材を生かして作品を制作する。」という事はよく言われるし、実際そうしている場合が多い。


    しかし、この言葉通りにいかない場合も結構あるのだ。

    要するに、「素材を生かしきれない。」もしくは「素材に頼りすぎている。」・・・など。


    例えば、石や木などの素材。

    これは中々くせもので、ハッキリ言ったら何も手を加えなくても存在感がものすごくある訳である。

    木ならば、その中に30年とか50年、あるいはもっと長い、凝縮された時間が封じ込められている訳である。

    しかもそれは風雪に耐え、地面に根を張り、自立して生き抜いてきたという説得力を持って存在しているものなのである。

    さらに石の事について言うならば、種類によっても違うが、何万年、何千万年といった気の遠くなるような時間が石の中に凝縮されて詰まっている訳である。

    やはり、存在感は別格である。

    それをたかだか、数十年しか生きていない人間が彫ろうというのだから、実はよっぽどの覚悟を持って臨まなければならないものなのである。


    これは人から聞いた話なのだが、過去にはこんな事があったらしい。

    ある公募展開催中の受付に怒鳴り込んできた男の人がいたというのだ。

    その人が何を言っていたかといえば、
    『あの中々手に入らないような神聖な木に対し、何て事をしてくれたんだ!あれは木に対する冒涜だ!』・・・との事。

    実はこの男性、木に相当詳しい昔ながらの大工さんだったらしく、その作家の木の使い方が信じられなかったようなのである。

    私はこの作品を全く見ていないので何ともいえないが、ハッキリ言ってこの大工さんの気持ちも分からないでもない。

    推測ではあるが、あまりにも素晴らしい木であったため、その作家の人も「素材を生かした。」というよりも「素材に頼りすぎた。」のではないか。・・・結果、中途半端に彫ってしまったという事であろうか。


    自然の素材を使う時、その素材に対する責任は作家が全て負うべきものであり、やはり素材を「熟知する事」、そして素材と対話しながら「やりきる事、使い切る事」が大事なのであろうと私は考える。

    それが出来た時、初めて「素材を生かした。」という作品は生まれるものだと思う。


    そう、・・・中途半端に彫るくらいなら、まだ彫らない方がましなのである。

    ・・・最初の「 原石 」「 原木 」の方が、よっぽど存在感もあり、迫力のあるものなのだから。
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    1. 2011/03/07(月) 13:43:55|
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