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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    石の作品を磨く。

    不動心(制作途中と完成状態) 松田光司作「 不動心 」 左が制作途中、右が完成状態。  大学4年の卒業制作である。

    昨日、せっかく石の作品についてちょっと話題に上げたので、少し石の作品について語ってみたい。


    石を彫った事のある人にとっては珍しくも何ともない普通の話なのだが、一般には意外と知られていない話である。


    まず、上の写真二つを見比べてもらいたいのだが、この二つ、実は同じ作品なのである。

    見ての通り、一つは表面に光沢があり、そしてもう一つはマットな感じでしっとりとした感じになっている。


    さて、どうしたらこのような違いになるのか?


    ・・・まず答えから先に言ってしまうが、これは砥石による磨き段階の差によるものなのである。

    砥石と言うと、あまりなじみのない人もいるかもしれないが、包丁などを研いだりするレンガのような塊、あれが砥石と呼ばれるものなのである。

    当然、砥石と言っても種類がたくさんあり、石を磨く場合は、包丁を研ぐ時のように1~2種類の砥石だけで終わるという事はない。

    磨きたい石の種類によっても違うのだが、粒子の粗い砥石から細かい砥石まで、だいたい7~8段階の砥石を使って石を磨いていくのである。

    つまり、上の写真左の状態は400番と呼ばれる砥石の段階まで磨き終わった状態。

    そして右の写真はそれからさらに2000番の砥石くらいまで磨いた状態なのである。


    この磨きの作業と言うのも本当に大変で、結局、「 磨く 」と言う言葉が意味するものは「 削る 」と言うことを意味しているのである。

    例えば、180番くらいの砥石で磨くという事は、180番でしか付かない傷を石全体に均一につけると言うことなのである。

    この均一というのが実はくせもので、180番が終わったと思っても、次の段階の砥石をかけている最中に、均一に磨かれていなかった部分の傷がサーッと浮かび上がってきたりするのだ。

    当然、前段階の傷が発見されれば、また番数を180番にもどし、その部分を磨きなおす訳である。

    その繰り返しで番数を上げていくのだが、だいたい800番くらいからやっとツヤが出てくれるのである。


    さて、磨きの作業の説明を聞いて気付くと思うのだが、「磨く」という行為は結局、延々と番数を変えながら最後の最後まで石に傷を付け続けると言うことを意味するのである。

    要するに、どんなにピカピカに光っていたとしても、本当に細かい傷の集積でもあるという事なのだ。

    しかし、傷も一本だけなら単なる傷なのだが、同じ傷が石の表面全体に万遍なく付いた瞬間、それは傷という概念のものではなくなるのである。
    しかもそれが細かい傷の集積であるならば、光って見える訳である。


    こうして説明し終えてみてふと思う、・・・無数の傷が付けば付くほど輝きを増していくなんて、何だか誰かさんの人生のようでもあるなぁ、・・・と。
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    1. 2011/03/06(日) 10:33:59|
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