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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    背中。

    妖精卵―水(部分) 松田光司作「 妖精卵―水 」 (背中部分)

    私は昔から「背中」には妙に惹かれるものがあった。


    当然、彫刻でつくるのも好きだし、クロッキーで描くのも好きである。

    これは人から聞いた事なのだが、「体の前面(顔のある方)はウソをつけるが、背中はウソをつけない。」と言う話があるのだ。

    それを聞いた時、確かにそうだなぁと思ったものである。

    何か落ち込んだり、悲しい事があった時、顔だけは元気そうに見せていても、背中を見ると何だか寂しそうな感じが分かってしまったりする時があるのだ。


    だからと言う訳でもないが、彫刻をつくる上においても、背中の方はつくっていて面白いし、やはりつくりがいがある。

    彫刻もある意味、人と同じで、体正面の方はもっとも人にみられる事を前提として作られている訳である。

    顔があったり、胸があったり、手や足があったり、服の装飾があったり、・・・等々、体前面の方が要素が多く、華やかな場合が多いのである。

    で、それに比べ、背中の方はと言えば、裸婦像でも着衣像でも目立つような要素が圧倒的に少なく、言ってみれば地味な訳である。

    では、『つくっていてもつまらないのでは?』と思うかもしれないが、全くそんな事はないのだ。

    余分な要素がなく、すっきりしている分だけ、逆にその形そのものだったり、その品格や透明感といったものを感じ取りやすいのである。

    まさにその彫刻の性格や個性といったものが、その背中のつくり方によって決定してしまうと言ってもいいくらいなのである。

    という訳で、私が彫刻をつくる上においては、体正面が「主」で背中が「従」という事はないのだ。

    大抵の場合、体正面と背中に対するつくり込みというのは50対50であるし、以前にも紹介した「夢想(大理石)」など、作品によっては背面の方が「主」となる事もあるのだ。


    しかし、実際の彫刻の展示となると、背中をみる事が出来ないことも多く、とても残念ではある。

    たまに、美術館の展示や博物館の展示で、わざわざ背中がみえるように展示されている彫刻を発見すると、『ここの展示担当者、分かってるなぁ・・・。』などと、うれしそうにじっくり鑑賞する私がいたりする。

    みなさん、彫刻の本当の良さは「背中」をみなければ分からないかもしれませんよ!
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    1. 2011/03/02(水) 11:34:29|
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