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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    無責任でいられる状態。

    海辺 撮影 松田光司

    普段の生活で、常に何か責任のある状態で色々とやり続けるというのは、やはり大変なことである。

    別に当たり前の話であるし、慣れてしまえばどうって事もないのだが、・・・ふと、自分の日常生活の中に『気楽に、無責任でいられる状態』ってあるのだろうか?・・・と考えると実は中々無いことに気付く。


    じゃあ、家族と一緒にくつろいでいる時はどうなの?・・・と言われると、確かに安らぎもあるし、気楽な状態ではあるのだが、決して無責任でいられる状態という訳ではない。

    家族を色々な意味で守らなければ、・・・と言う意識がなくなる事はないのだ。


    それならば、実家に帰った時はどうなのか?・・・この場合『気楽に、無責任でいられる状態』のような気分に浸る事は出来るのだが、父と兄貴の家族が暮らす実家で、完全にその状態にはなれる訳がないのだ。

    当然、旅行へ行ってもレジャーへ行っても、リフレッシュはするが、無責任と言う訳にはいかない。

    また、自営である以上、仕事(制作)の休みも、私が時間を調整して決定する休みであり、やはり無責任でいられる休みではないのだ。


    こうやってあらためて考えてみると、結局、そんな状態でいられたのは子供の頃、両親と一緒に暮らしていた時ぐらいではなかったのか?・・・と思ってしまう。


    要するにその境目と言うのは、自分で稼ぎ、自活し始めた瞬間からであり、それ以降『気楽に、無責任でいられる状態』というのはほとんど存在しなくなっているのである。

    つまり、もし仮にその状態があったとしたならば、それは人から必要とされていないと言う状態である事を意味してしまうのである。

    何だか大変、と思ってしまえばそれまでだが、やはり必要とされているからこそ、責任も生じてくる訳である。

    自分が生きている意味、生きている実感と言うのは、何だかんだ言って人から必要とされている時にもっとも感じているのではないか。

    そう考えれば、『気楽に、無責任でいられる状態』がほとんどない、・・・というのはある意味ありがたい事でもあるのだ。


    まあこんな事も考えだせば、こうして色々と書き出してしまえるものだが、実際には普段は『責任があるとかないとか』全く意識する事もない訳である。

    しかし、こうして書いてしまうと、人は常に何かの責任を負いながら生きているのだと、あらためて実感するものである。
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    1. 2011/02/28(月) 17:25:54|
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