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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    美術の世界に対して、・・・。

    池  撮影 松田光司

    何だか美術の世界は、侵しがたい神聖な領域のような捉え方をされる事がある。


    しかし、私はそうは思っていない。  

    作家と呼ばれる人達が、作品を自分の内側から絞り出す過程において、他人を寄せ付けないような何とも言えない空気感を出す事は確かにあると思う。

    しかし、そうだからと言って、すでに世に出してしまった作品に対してまで、見る側が恐る恐る神聖視しなければいけないという義務は一切ない。

    またその作品に対し、作家がどんなにゴチャゴチャともっともらしいコンセプトを語っていたとしても、一体それが何だと言うのか?

    一般に、見る側と言うのは弟子でもなければ生徒でもない訳で、作り手がどんなにそれらしい主張をしようと、それがどんなに意味ありげな作品であろうと、それは結局一個人の考えを集約したものに過ぎず、その考え、形に対し、賛同しなければいけないなどという事は全くないのだ。

    『何が言いたいのか全然分からないけど、何かきっと意味があるのだろう。』と勝手に深読みするのも結構だが、見た瞬間に感じる素直な感想が最も的確な評価であったりもするのだ。

    その作品から何も感じ取る事が出来ないと言われてしまう場合、それは見る側の責任ではなく、明らかにその責任は作り手側にあるのだ。


    あと一つ気になるのが、美術雑誌や新聞の美術評論、展覧会場に書かれる作家や評論家の文章についてである。

    はっきり言うと、作家や評論家の個人的な考えや意見、思想を述べているに過ぎないと思える内容の場合でも、まるで美術界全体の総意を表しているかのように書かれている事がたまにあるのだ。
    正直、「言ったもん勝ちか?」と思ってしまう事の何と多いことであろうか。

    いつも言っている事だが、100人いれば100通りの考え、正しさ、やり方がある訳で、一つの正しさだけがある訳ではない。

    当然、私がこうしてゴチャゴチャ言っている事も数多くある意見の内の一つに過ぎず、違う考え、意見はいくらでもある訳である。


    美術の世界に対しては、どうしても恐る恐る特別な目で見てしまいがちだが、とりあえず言いたい事は言いたいように、ずけずけと言ってしまった方が随分とすっきりしていくような気もする。
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    1. 2011/01/27(木) 18:00:21|
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