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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    結局、一番楽しんでいるのは・・・。

    妖精卵 空―風(石膏) 松田光司作「 妖精卵 空―風 」(石膏) 作品を下から見たところ。

    彫刻をつくっていていつも思う事なのだが、制作途中というのは実に面白い形がいっぱい出て来てくれる。


    粘土で制作を始める場合、まず芯棒。
    つくる形によっては単純で、それほど面白くない芯棒だったりもするのだが、複雑な形の彫刻の芯棒ならば、それだけで作品のように見える時もある。

    で、その芯棒に粘土をつけ出すと、それはそれはもう完成時には見られない迫力や荒々しさがあり、やはりついつい写真に残しておきたくなるような形がどんどん出てくるのである。

    また面白い事に荒付け段階で感じる事の出来る雰囲気というのは、塑造完成後も何となく感じる事が出来るのである。
    (逆に言ってしまうと、荒付けの時すでに完成のイメージが見えている、という事でもあるのだが・・。)

    そして粘土完成後は石膏取り。
    これは前にもふれたとおり、それこそ面白い形の宝庫である。
    自分がつくった形であるにもかかわらず、型にうつしとる事により、思いもしない形を発見する事が出来るのである。

    そして最後、石膏像になった後。
    もうほぼ完成形だから、面白い形もないのでは?・・・と思うかもしれないが、まだまだあるのだ。

    単純な話、粘土の時は不可能な事なのだが、例えば像を横たわらせて制作するとか、逆さに立ててみてみるとか、石膏になってからしか見る事の出来ない面白い状態がいっぱいあるのだ。

    実はこれは面白い形が発見出来ると言うだけでなく、制作する上においてもとても重要な行為であるのだ。
    粘土の時はみえていなかった事がこの行為をする事により色々と分かったりするのである。

    あともう一つ言うならば、石膏を切り取るという行為。
    大きく形を変えたい時、粘土ではやりづらい事も石膏では簡単に出来たりするのである。

    で、必要に応じて石膏を切り取り、またベストな状態にくっつけなおすのだが、・・・・実はその切り取った形そのものが、たまたまそれだけ単独で作品になってもおかしくないような形になる事もあるのである。


    一つの作品のイメージが浮かんだ時、そのイメージを具現化するために制作を開始する訳だが、その途中途中には新たなインスピレーションが降りて来てくれるような面白い過程がいっぱいあるのだ。

    結局、彫刻を一番楽しんでいるのは、・・・・作家本人、つまり私自身なのかもしれない。
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    1. 2010/12/27(月) 19:25:56|
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