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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    才能。

    磨りガラス 撮影 松田光司

    発見出来るかどうか、そこにたどり着けるかどうか別として、人には必ず何か「才能」があるのではないかと私は考えている。


    当然その才能とは、人から見て「すごい!」と思えるものもあるであろうし、「何だそれ?」と思えるものもあるのであろう。

    あともしかしたら本人が全く気付かないだけで、何か特異な世界の特異な分野において知らない内に世界一になっている事だって全くない事であるとは言い切れない。

    要するに誰でも何かの才能はあるはずなのだが、結局その才能をより多くの人に「すごい!」と思われた人が世に出てくるのであろうと考えるのである。


    さて、ここで芸術の才能の事について少し考えてみたい。

    何度かこのブログでも取り上げているが、この芸術の世界の価値観も相当混沌としているように感じる。

    100年200年前ならば、芸術の才能というのもある意味分かりやすく、簡単に言ってしまえば
    「彫ったり描いたりする技術と美的センス」がある事に対し、芸術の才能があると思われていたのではないかと考える。

    しかし、今はどうであろうか?

    「彫ったり描いたりする技術と美的センス」を持っている = 「芸術の才能」がある

    とは言い切れないし、直結してはいない、・・・・つまりこれは芸術の才能の一部でしかないのである。


    では現代における芸術の才能とは何なのか?

    とりあえず、今現在、世の中で受けているアートについて考えてみると、・・・

    「アイデア勝負でインパクトが強く、なおかつ意味ありげである事。」

    他にも色々あると思うが代表的なものはこんな感じではないかと勝手に思っている。

    この才能とは「彫る技術、描く技術と美的センス」を持っている事とは、当然全く違ったものであるし、違う分野と言ってもいいかもしれない。

    多分100年以上前ならば、それこそ「何だそれ?」と思われる程度にしか感じられない才能であったのではないか。

    しかし長く続きすぎたアカデミックな芸術の価値観に対する反発により、「何だそれ?」と思われていた特異な才能も「すごい!」に変化していったように思うのである。

    結局、芸術における才能とは、自分が持っている才能と、その時代が欲しているニーズと合致している事なのかもしれないし、またさらに言うならば、そのニーズを少し前に敏感に感じ取れる事を才能というのかもしれない。


    ・・・などと、好き勝手な事を言ってはみたものの、やはりこのアートの世界、混沌とし過ぎていて、どんな人達に芸術の才能があるのかないのか、実際やってみなければ正直分からないし、またすぐに答えが出るものでもないように思う。(当然の事だが、才能が開花し、売れたとしてもそれで後世に残るかどうかは別な話であるし、・・・)


    まあ、いつも通りの結論で申し訳ないが、結局は自分の才能を信じ、自分の道を行くしかないのであろう、・・・と今は思っている。
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    1. 2010/12/21(火) 19:13:40|
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