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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    人の間に立つ事。

    オアシス21の天井 撮影 松田光司

    一般的に、話を伝える側というのは、相手の事やその場の状況の事を考えた上で、聞き手に分かりやすく伝えようとするものである。


    しかしそこで聞き手の方はどうなのかと言えば、人の話に対し、基本的に自分が興味のある所や自分にとって都合のいいところしか聞かないものなのである。

    この大前提がある事を認識しておかないと「言った」「いや、言わない」とか、「聞いた」「いや、聞いてない」といったような事になってしまうのである。

    さらにもう一つ言えば、「人から聞いた話なんだけど、・・・」として話をする場合、一字一句まったく同じように伝える事などは、録音でもしてない限り絶対にない事で、当然、簡略化されるし、話す人の主観も意見も入るし、また記憶違いの思い込みという事もあるし、相当違った話になってしまう事はよくある事なのである。
     
    結局、よっぽど公の講演会でもない限り、話す側も聞く側も、相当アバウトな状態であると思っていた方がいい。


    さて、ここで私がまだ若い頃の話をひとつ。

    ちょっとした意見の食い違いで反目しあう人達の仲裁?(間に入るつもりは全くなかったのだが)をした事があった。
    結論としては、また仲直りして元通りになった、・・・のだが。

    決して私の仲裁が良かった訳でも何でもなく、私を悪者にする事で仲が戻ったようなのだ。

    私としては、実際それぞれ本人から放たれた聞くに堪えない暴言を柔らかくオブラートに包むようにして「相手はこう考えているみたいだよ。」と伝える努力をしたつもりであった。

    だが、いざその二人が仲直りした時には「おれはそんな事を伝えてくれと言ったつもりはない。松田はそんな風に解釈して伝えていたんだな。」・・・と、まるで私が勝手に悪口を創作していたかのように相手と確認し合っていたらしいのだ。

    どう考えても、そのまま録音テープにでもとって聞かせていたら、仲直りする事は絶対になかったであろう暴言の応酬であったのだが、・・・。

    まあ私もまだ若く経験も浅かったので、結局「言った、言わない」の話はうやむやになって終わりになったのだが、労力の割りにこんなに報われない役割もないなぁ・・・と痛感したのであった。

    こんな出来事を経験したからという訳でもないが、人や団体などの間に立てる能力を持った人はすごいなぁと思うし、その大変さを考えれば、それ相応の報酬も当然だなぁと思うものである。

    とりあえず、私の身近な所でそんな能力を持った人と言えば、・・・「画商さん」。
    ・・・作家のわがままな主張、お客さんの難しい注文、いつも上手くまとめて下さって本当に感謝です。
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    1. 2010/12/16(木) 14:50:02|
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