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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    石膏の存在。

    ウサギⅡ(粘土と石膏) 松田光司作「 ウサギⅡ 」 左が粘土状態、右が石膏状態。   
    今現在、日本橋三越6階(12月21日まで)と日本橋高島屋6階(年末まで) にてステンレス素材とブロンズ素材の「ウサギⅠ・Ⅱ」展示中。

    石膏というのは私にとって粘土と同じくほぼ毎日のように扱う素材である。


    しかし、「石、木、金属、粘土」などの他の素材と違って石膏というのは制作途中にちょっとだけ形を記憶させておくための仮置き素材というふうに私はとらえている。

    以前にも少し書いたが、石や木などの自然の素材というのは、作家が何も手を加えなくても、初めから何かを訴えかけてくるような、素材としての強さや豊かさといった様々な表情を持っているのである。

    それに比べると石膏はある意味、無味乾燥でこれといった主張はしてこない素材なのである。

    強さも豊かさも表情も感じないのだが、逆にそれが石膏という素材の最大の強みなのであろうと思う。

    つまり素材そのものに、これといった魅力がない分、形そのものをとことんまで追求して勝負するしかない素材であるという事が言えるのである。

    例えばこう言う事である。

    石膏像にする前段階で、粘土を扱っている時・・・。
    粘土という自然の素材を使い、造形をすると、制作途中の状態であったとしても、やはり土そのものに優しさやあたたかさといった何とも言えない魅力があるため、ある意味途中でも完成したような気になる事があったりするのである。

    しかし、それを石膏取りして石膏像にするとどうであろうか?

    石膏になった瞬間、いきなり粗ばかり見えてくるのである。
    粘土の素朴さやあたたかみを作風としている作家ならば何も問題がないのだが、私のような作風では論外なのである。

    石膏になると素材より先に形の方が目に飛び込んでくるため、粘土では詰め切れなかった形の甘い部分を、徹底的に詰めていく事が出来るという訳なのである。

    他の作家はまた違う考えのもと制作をしていると思うのだが、私にとって石膏とは素材そのものが主張してこない分、純粋に形だけを見つめ直す事の出来るとても優れた素材である、・・・と言えるのである。
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    1. 2010/12/15(水) 10:09:49|
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