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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    情報の波。

    湘南の海より 撮影 松田光司

    今に始まった事ではないが、毎日毎日、波のようにニュースが押し寄せてくる。


    その時々のニュースを流す事自体はいい事だと思うのだが、その中身はといえば、本当に大事なニュースと実はどうでもいいニュースとが入り混じった状態で存在する訳である。

    そしてその伝えられ方は、決してニュースの重要度に応じて報道されているとは言い難く、内容もしくは映像にインパクトがあったりして面白いと思われるものに対し、より時間や紙面が割かれているように感じられる事が多い。

    さらに困る事に、それがどんなに大事なニュースであったとしても、ちょっと時が過ぎただけで古いニュース扱いになってしまう。
    そのニュースの当事者からしたら、現在進行形で延々と取り組み続けなければいけない重大な問題であったとしても、世間からすると、「あっ、まだやってたんだ。」くらいにしか思われなくなってしまうのである。

    あまりにも多くの情報が毎日流されるため、世間を騒がせたニュースが流されなくなると、何だか解決してしまったような錯覚に陥るのである。
    騒ぐだけ騒いで、その結論(今現在の状況)を知らないというニュースは山ほどあるはずである。


    あともう一つ怖いなと思うのが、実際に見ても聞いてもいないのに分かったような気になってしまう事。
    報道と言うのは意識するしないにかかわらず、主観は入っているものなのである。

    例えば同じ一つの出来事を伝えるのに、悪く伝える事も、良く伝える事も自由自在に出来るものなのだ。

    「公平、公正な報道を目指している」と言うと聞こえがいいが、実際には普段意識していないだけで、必ず条件は入っているのである。

    正確にはこう言った方がいい。
    「ある特定の時代の、ある特定の地域にとってのみの公平、公正な報道を目指している」
    と言うのが本当であろう。

    分かりやすい例を出すならば、いがみ合っている国同士の事を考えればいい。まず間違いなく自国の事を良く報道し、相手国の事は悪く報道するはずである。

    しかしそれぞれの国にとっての「公平、公正な報道を目指している」という理念のもと出している報道なので、それはそれぞれの国にとってそれは真実の報道として流される訳なのである。

    結局、こんなような事は国という単位に限らず、大きくも小さくも必ずあると思って間違いない事なのである。

    やはりここで重要になってくるのは受け取る側の意識の高さ。
    「伝える側の表面的な内容」ではなく、「伝える側の隠された意図する所」を見透かす事が出来るだけのイメージ力を持ちたいものである。
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    1. 2010/12/14(火) 19:11:00|
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