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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    作業と仕事。

    「麗静」(全身像)石膏取り途中 撮影 松田光司「 麗静 」(全身像) 石膏取り 割り出し途中

    一般的な使い分けの事はとりあえずおいておくとして、彫刻にかかわる時、私の中では「作業」と「仕事」というのは明確に使い分けている。


    別に特別な話でも何でもないのだが、それはこう言う事である。

    まず「作業」と言うのは、彫刻制作に取り掛かるために必要で行う行為、もしくは彫刻をつくり終えた後、必要で行う行為の事を指すのである。

    そして、「仕事」とはまさに彫刻制作の事を指し、作品の核心に迫ろうと彫刻に向かっている状態を「仕事」といっているのだ。

    当然「仕事」の部分の時間を少しでも多く取りたいという思いはあるが、「作業」なくして「仕事」は成り立たないのである。

    また、手順の決まった「作業」をしている時間と言うのも意外と重要で、作品制作に没頭していない分、色々な考えや閃きが浮かんできたりする事もあるのである。

    例えば、石膏取りの作業でいうと、途中、作品が面白くみえる状態がいっぱいあるのだ。

    切り金と言うものを粘土に刺すだけでも、作品は違ったものに見えるし、石膏を一回ふりかけただけでも作品が別物になってしまうのだ。

    雌型を見ているだけでも面白い。立体をうつしとった反対の形は、時にものすごく魅力的だったりして、凸の形の時には発見できなかった美しい形がいっぱいあったりするのである。

    さらに割り出しの作業では、化石でも発掘するような楽しさがあり、割り出し途中の形も何とも面白い形が色々と現れてくれるのである。

    あと、あまりしょっちゅうでも困るのだが、割り出しの時、作品の一部が大きく欠けてしまう事がある。
    それこそ思いがけない形が現れてくれる訳だが、正直、この割れてしまった形から作品のインスピレーションを受けた事は何度もあるのだ。


    まあ、そんな訳で 「ハァー、単なる作業か。」 などと侮るなかれ・・・どんな所にも魅力はいっぱいつまっているという事なのだ。

    ちなみに今日は一日中、石膏取りの作業の日、・・・とりあえずやっと終わってホッとしながら、こんな事を考えている私であった。
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    1. 2010/12/09(木) 20:48:12|
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