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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    目利きの存在。

    青梅の紅葉 撮影 松田光司

    今の世の中、目利きと呼ばれる人の存在がいない訳ではないが、少なくなったように感じる。


    価値基準を作品そのものではなく、資料や書類、また他人の言葉などに左右され、善し悪しを判断している人が増えているように感じるのだ。

    何故だろう?

    とりあえず、美術の事で言うと、価値観が多様化しすぎてしまった事にも原因があるのであろうか?
    この人が価値を認めたのだから、価値があるのだ、・・・と中々ならないように思う。

    11月10日のブログでも少しふれたが、その誰かが認定した価値も小さなグループの中でしか通用しない価値だったりするような気もするのだ。

    例えば、今ものすごく評価も高く、売れまくっている作家やその作品が、数百年後にミロのヴィーナスやモナリザのように世界の宝としての扱いを受けているのであろうか?・・・・と考えると、多分大半はそうはならないように思われる。

    要するに、私が理想とする目利きの人というのは、そういったところまで見通せるような目利きであってほしいのである。


    ある人からこんな話を聞いた。
    私が実際確認した訳でもないので、場所も時代も名称もふせておくが、それはこういう内容であった。

    ある美術館で、作家の公開制作のようなイベントをやり、2枚の抽象画を描いてもらったというのだ。
    ・・で、その描かれた2枚の内の1枚を作家が美術館に寄贈するという話になったらしいのである。

    どちらでもOKという事であったのだが、・・・・何と学芸員の人たちがどちらを選んでいいのか判断出来なかったというのだ。
    とりあえず、美術界において評価の定まっている作家なので、どちらの作品を選んでも美術館的には問題ないのであろうが、はっきり言えば、同時に描かれた作品であるとしても、作品としての価値が全く同じという事は本来有り得ないのである。
    好みでこっち、・・・という話ではなく、「作品として価値が高いのは間違いなくこちらである。」と宣言出来る人がいなければいけない話なのである。

    正直、目利きを育てるにはどうしたらいい、・・・などというのは分からない。

    でも自分の中で一つだけ言えるのは、やはり本物を見続ける事。
    何も高い高級品ばかりを見続けなさい、という意味ではない。

    評価の定まった本物ならば、博物館にもいっぱいあるし、それこそ別な観点から考えれば、大自然の中にも本物はいっぱいある訳である。

    「本物の目利き」と呼ばれる人が数多く現れてくれる事を切に願うものである。
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    1. 2010/11/28(日) 15:57:56|
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