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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    トップと2番手。

    栄 オアシス21 撮影 松田光司

    これも何となく今まで見聞きしてきた経験からの話。


    以前にもチラッとふれた事だが、トップに立っている人というのは礼儀正しく、腰の低い人が多いように感じる。
    一方、2番手、3番手と呼ばれる人は、すべてとは言わないが、何故か権威をふりかざすように接してくる人が多いように感じる。

    実際私が経験した話である。実績もなく評価も何も定まっていない若い頃、ある団体のトップからは「松田先生」と呼ばれるのだが、その団体の2番手、3番手からは「松田さん」とか「松田君」とか呼ばれたりしたのである。

    当然、若い頃にトップの人から「先生」などという呼ばれ方をされてしまうと、随分と恐縮してしまったように記憶しているが、その後もこういう事は数多く経験しているのである。

    やはりトップに立つようなかたというのは、自分に本当の意味で自信があるのであろう。
    自分を大きく見せようと思わなくても、まわりがそう見てくれるし、権威をふりかざしてしまえばまわりが去っていく事もよく知っているのである。

    では、2番手と呼ばれる人たちはどうなのであろうか?

    まず、思うにトップの人がいる時といない時で、態度をころりと変える人はまず駄目な人であると考えて間違いない。
    たいてい、そういうタイプの人は「トップさえいなくなれば自動的に自分が一番になれる。」などと考えたりしているのだ。

    よくあるパターンであるが、その程度の人が2番手としている場合、実際トップがいなくなった時、その団体の10番手くらいに一気に追い抜かれてしまうか、もしくは、とりあえずトップに立てたとしても他団体につぶされたり乗っ取られたりしてしまうのがおちなのである。

    はっきり言ってしまえば、トップに立てるような人というのは、トップがいようがいまいが関係なくトップに立つのである。

    さて、ここまでのくだり、本当は私の中で企業や役所、法人などの団体の事を思いながら書いていたのだが、・・・・ふと、今の政治にも当てはまってしまう事に気付く。

    去年の夏までずっと2番手だった現在の政権与党。
    トップになる本当の覚悟も自覚もないまま、「トップさえいなくなれば自動的に自分が一番になれる。」などと考えたりしていなかったであろうか?

    もしその程度の認識であったならば、この後、10番手くらいに一気に追い抜かれたり、他団体につぶされたり乗っ取られたり・・・・・なんて事もじゅうぶん有り得るような気もする。

    とりあえず、権力の座に就きました、・・・というだけでは誰も付いてこないものである。
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    1. 2010/11/27(土) 23:14:04|
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