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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    子供の彫刻について。

    星の旋律(佐用郡、佐用駅前) 松田光司作「 星の旋律 」 (兵庫県佐用郡佐用町:佐用駅前)

    子供のかわいらしい彫刻というのは普通によく売れそうなイメージがあるのであろう。


    何年か前か忘れたが、抽象彫刻をつくっている友達からこう言われた。
    「松田はいいよなぁ。子供の彫刻でもつくっていれば売れるんでしょ?」

    当然、私はこう答えておいた。
    「そんな甘い世界な訳ないだろう。それだったら、抽象彫刻さえつくっていれば、評論家に取り上げられて売れるんでしょ?・・・と言っているのとおなじだよ。」

    さて実際、子供の彫刻というのはどうなのかと言えば、・・・
    それなりには売れている。しかし決してバカ売れでもない。

    結局、「裸婦像、着衣像、動物の像、子供の像、等々」どのタイプの彫刻であろうが、当たり前の話かもしれないが、いい作品から売れていくのである。

    子供の彫刻に限らず、動物の彫刻でも言える事なのだが、『おー、かわいい、かわいい。』という意識だけでつくってしまったような彫刻は、何とも言えない媚を売ってしまったような作品になってしまう事が多いのである。

    画廊に来られたお客さんからよくされる質問なのだが、
    「本当に優しいあたたかい目で子供さんを見てらっしゃるんでしょうね?」といったような内容。

    この事についてだが、実は全くそうではないのだ、・・・というか真逆?
    確かに普段の生活においては動物にせよ、子供にせよ、優しい視線で見ているのだが、彫刻のモデルとなった瞬間に見方は全く変わるのである。

    「本当にクールに冷徹な視線を送り、鬼のように厳しい観察眼を持って制作に臨んでいる。」
    ・・・というのが正解なのである。


    ここで正直に告白するが、昔初めて子供の彫刻をつくった時はひどいものであった。
    当然、世に発表出来るレベルのものではなかったので、ひと目にふれさせる事もなかったのである。

    でも昔とはいえ、技術もあったはずなのに、何故その程度の物しか出来なかったのか?

    理由は明白である。
    決定的に子供の彫刻に対する見方の意識が低かったのである。
    最初にふれた友達の言葉、「子供の彫刻でもつくっていれば売れるんでしょ?」と言ってのけたレベルの低い認識と同程度の認識でしかなかったのだ。

    子供の彫刻に対し、この程度の認識では作品として価値のある彫刻が出来る訳がないのである。

    とはいえ、まあありがたい事に、子供の彫刻を数点つくっただけで自分の認識の甘さ、そして力不足をさとる事が出来る客観性くらいは当時でも持っていたから良かったのだが、・・・あの一体目の子供の彫刻を世に出してしまっていたらと思うとゾッとする。

    という訳で私を通して出てきてくれる作品群は、今現在、どのタイプの作品であろうが、
    「本当にクールに冷徹な視線を送り、鬼のように厳しい観察眼を持って制作に臨んでいる。」という姿勢のもと世に送り出されていく訳である。
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    1. 2010/11/21(日) 13:28:51|
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