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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    文章を書く道具。

    紙とペンとパソコン 撮影 松田光司

    実はこのブログを書き出す随分前から、それほど多くはないが、思いついた事をよく文章にしていた。


    いつ頃から書きだしたのかは忘れたが、当時パソコンなどなく、またワープロも満足に使いこなせないような状態であったので、文章を書くというのはやはり、紙とペンを使っていた。

    誰もが経験があると思うが、いくら自分で思いついた事とは言え、スラスラと文章に書けるほどの力もなく、修正、訂正、すべて書き直し、などの繰り返しで、とりあえず出来上がった文章を読み返そうとしても、斜線やら、矢印での指示やらで、ものすごく読みづらい出来上がりになってしまっていたのである。

    一応その後、清書して読みやすくしようかなぁ、と思うのだが、その必要性がない限り、ほとんどの文章がそのまま汚い見栄えのままほかっておかれたりしたのである。

    しかし10月3日のブログでもふれたが、パソコンを自在に扱えるようになってからは、それが大きく変わる。
    文章を考える段階から最後の完成まで、紙とペンを使う事が全くなくなっていったのだ。

    パソコンだと文の訂正も楽だし、前後の入れ替えも簡単に出来るし、何と言ってもわざわざ清書し直す必要がない。
    当たり前の事だが、字もきれいだし、見栄えもきれいなので簡単に読み返す事も出来る。


    いいことばかりのような気もするが、これにすっかり慣れてくると、私の中で二点ほど何か引っかかるなぁと思える事が出てきたのである。


    一点目はこういう事である。
    ペンを持ち、紙を目の前にしても、文章を書こうという思考回路が中々働いてくれなくなってしまったのである。
    以前なら、ペンを持っただけで、色々な話の展開が浮かんだものだが、何か頭の中が止まってしまったような感覚があるのだ。

    二点目としては、ペンで書いた文章とパソコンだけで書いた文章は明らかに何かが違うと思える点である。

    私は文章を書くプロではないので、具体的にどう違うと説明する事は出来ないが、ただ違うという事だけは分かる。
    何故分かるかと言えば、ペンを使って書いた下書きの文章を清書する時、同じくペンを使う場合は、ほぼそのままの文章で清書する事のなるのだが、その下書きをパソコンを使い清書する時は、意図している訳ではないのに、かなり文章が変わってしまうのである。

    つまり、最終目的が同じでも、途中経過においてどんな道具を使うかによって、出来上がる物が変わってしまうのである。
    多分、ペンを使う時とパソコンを使う時では、同じ文章を書くのでも、脳の中では違う回路を使っているのではないかと思うのだ。

    正直、どちらがいいとか悪いとかは分からない。
    しかし、このブログのほとんどはパソコンのみで書かれた文章であるし、合間にささっと書きたい私にとって、もしかしたらペンだけで書いていたらここまで続けていないような気もするのだ。

    ちなみに今日の文章は出先で書いたため、久しぶりに紙とペンを使った。・・・・当然パソコンを使い清書した訳だが、・・・良くも悪くも相当文章は変わってしまった事はいうまでもない。
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    1. 2010/10/30(土) 17:22:03|
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