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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    記憶の多面性。

    水滴 撮影 松田光司

    タイトルは難しそうだが、やはり経験からの話であるし、もともと私にそんな難しい話は出来ない。


    自分の中の記憶と言うのは確かなようでこれほど不確かな物はない。

    というのは、今置かれている状況によって、もしくは新たに自分にやってきた(精神的に)大きな衝撃によって、過去の記憶はすり替えられてしまうのだ。

    具体的に二つほど例を話そう。

    一つ目は母についての話。

    母は「どこにでもいるおばちゃん」といった愛すべき普通の人であった。
    当然私も、どこの息子でもそうであるように、思春期には親に反発し、無視し、少し小馬鹿にするくらいの感じはあった訳である。

    その反発の時期が終わっても母に対しては「全くお母さんはどーなんだから、こーなんだから・・・。」と文句はしょっちゅう言っていたような気がする。

    ・・・しかし、事故で母が亡くなった瞬間、母に対する記憶(評価)が一気に変わってしまうのである。

    『あの時、あんな事をしてくれていたんだ、この時はこんなに私の事を考えていてくれたんだ、・・・。』と次々に甦る記憶の数々。

    「どこにでもいるおばちゃん」のはずであった母は、私の中では「愛に満ち溢れた優しい母」にいつの間にか変わっていたのだ。

    自分でも笑ってしまうような変わり方だが、本当の事である。


    次、二つ目は芸大に受かった時の話である。

    もし受からなければ、絶対そんなこと思うはずはないのに、受かった瞬間、私の歩いてきた一歩一歩の人生は、すべてこの道につながるべく定められた道程であった、・・・・などと思ってしまったのである。

    思い返せば、自分は図画工作の中でも絵より立体の方が好きじゃなかったっけ?とか、数学で計算が得意だったりしたのも空間把握に役立つからではないか?とか、バスケで体を鍛えていたのは、彫刻家として耐えうるための体作りのためではなかったのか?とか、もう言い出したらきりがない訳である。

    要するに、今自分が置かれている状況にとって都合のいい記憶ばかりを辿ってしまうという事なのである。

    つまり母がもし亡くなっていなければ今でも「どこにでもいる普通のおばちゃん」であるはずだし、大学に受かっていなければ、多分「元々私はこんなに美術系大学受験には不向きな少年時代を過ごしていた。」などという記憶がいっぱい引き出されていた事であろうと思う。

    こんなに簡単に変わってしまう記憶である。であるならばこれを逆に利用してみるのはどうだろうか。
    自分がこれから何か大きな事を成し遂げようとする時に、イメージトレーニングとして、過去の記憶からその成し遂げようとする事がらに対してプラスとなるような記憶のみを抜粋し、たどって行ってみるのである。

    もしかしたら、自分がすっかりその気になるためにはいい方法かもしれない。
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    1. 2010/10/25(月) 09:00:00|
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