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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    ライバル。

    鏡に映った「福人」 撮影 松田光司
    鏡に映った「 福人 」

    さて、「ライバル」などという言葉、ついつい面白そうなので、タイトルとして付けてしまったが、・・・。


    実は、私はライバルという存在など全く意識した事がない、・・・・と言ってしまうと、ひんしゅくを買ってしまうだろうか?

    ・・・でも事実なのだ。

    こんな時よく聞かされる言葉が「ライバルは自分である。」といったたぐいの言葉だが・・・。
    ここでそんなありきたりの事を言っても仕方ないので、少し違う観点から「ライバル」について考えてみたい。


    まず、昔の事を思い出してみよう。

    やはりバスケットをやっていた頃の事になるのだが、どう考えても「ライバル」という存在は思い浮かばないのである。
    決して自分が優れ過ぎていたという事でもないし、かといって全く向上心が無かったという事でもない。

    中学ではキャプテン、高校では副キャプテンをやるくらいだから、かなりエネルギッシュに打ち込んでいたのである。

    例えば、チーム内で常に得点王を争っていたような仲間、・・・それはライバルではないのか?

    いや、やはり私の中ではライバルではないのだ。

    体格も技術も考え方も違う男に対し、何かを比べようとは全く思わなかったのである。
    彼は彼のやり方で彼の目指したい所を目指してくれればいいし、私は私のやり方でやっていくし、・・・と考えていたのである

    では彫刻を始めてからではどうなのか?

    同学年にすごい奴はいっぱいいたし、似たようなレベルの奴もいっぱいいた。

    それこそ刺激に満ち溢れているような連中ばかりであったが、でもライバル視しようと思うような奴はいなかった。

    要するに同じ土俵に立っている感覚が私の中には無かったのだ。
    たまたま同じ彫刻科、もしくは同じ大学にいるというだけで、それぞれ全員が立っている立ち位置が違って見えたのだ。

    同じ土俵に立っていない相手に対し、ライバルと思う訳がない。


    「ライバル」というのは要するに、お互い切磋琢磨しあい、競い、お互いが向上していく関係であると思うのだが、多分、自分の立ち位置を探るのに最も適した相手である、というように考える事が出来るのではないか?

    その観点から考えると、ライバルなどいなくても、自分の立ち位置を探る方法はいくらでもあるのだ。

    多分、自分でどんどん前に進もうと思っている人は、ライバルなど、いてもいなくても関係なく前に進もうと思うのである。

    そういった人というのは「ライバルがいなかったからこれ以上進めなかった。」などと他人のせいにするような言い訳は絶対しないはずである。

    「ライバルがいなかった事が、彼にとっての最大の不幸であった。」・・・・などという言葉もよく聞く言葉であるが、本当に不幸であったかどうかは、その人に聞いてみないと分からないのでは、・・・と私は考えるものである。
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    1. 2010/10/19(火) 09:00:00|
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