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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    留守番電話・・・・3件のメッセージ。

    堤防と空 撮影 松田光司

    もうあれから20年ほどの月日が経ってしまった。・・・忘れる事の出来ないあの出来事。しかしやがて記憶も薄れていってしまうとも限らないので、この辺で一度あの時の事を書きとめておこうと思う。


    それは雨の強く降る5月の事であった。

    その日は連休中で大学も休みだったので、ゆっくりと朝寝をするつもりであったのだが、何故か、朝8時過ぎにはパッと目が覚めてしまった。
    結構疲れもたまっていたし、まだ眠いはずなのにどういう訳かその時は、そのまま起きてしまったのだ。

    その日は特に用事もなかったのだが、ちょっと外に出たり、家で少し作品の構想を考えたりしながら過ごしていた。

    それは作品の構想をたまたま赤鉛筆で描いていた時の事である。
    力を入れていた訳でもないのに、その赤鉛筆が突然、木の部分からボキッと折れてしまったのだ。

    何だ?と思ったがさほど気にすることなく、その時は別な鉛筆に持ち替えただけであった。

    ・・・・が、いきなり目が覚めてしまった事、そして赤鉛筆が突然折れてしまった事、それはその後大きな意味を持つ事になる。


    その日は、何度か家を出たり入ったりしていたため、見落としていたのだが、留守番電話に3件も留守録メッセージが入っている事に気付く。
    早速ボタンを押し、3件のメッセージを聞く私。

    まず1件目。
    「(ピー)お母さんがなぁ、交通事故にあったでな。とりあえずそれだけじゃ。」

    それは父の声であった。少し驚いたが私はその時、まだ楽観的であった。


    そして2件目。
    「(ピー)今、病院で手術中じゃ、相当ひどいらしい。肋骨が折れて足も折れたらしい。」

    再び父の声。少し動揺したが、まだ『全く、お母さんもドジなんだから、見舞いにでも行ってやんなきゃなぁ。』ぐらいにしか思わなかった。


    続けて3件目。
    「(ピー)お母さん亡くなったでな、・・・・・はよう帰ってこい。」

    みたび父の声。血の気がひくとはこういう事を言うのであろうか、・・・・絶句した次の瞬間、涙が止まらなかった。


    とにかく信じられないというより信じたくなかった、・・・・それが事実であるという事を。

    しかし、こういう時、人というのは不思議なもので、一旦ものすごく冷静になるのである。
    当時は千葉に住んでいたのだが、すぐに帰るための準備を整え、愛知に向かったのだ。

    当然、実家には何度も電話をしたのだが、バタバタとしていたのであろう、全くつながる事はなかったのである。

    道中、何を考えていたのか?・・・・実ははっきりと覚えている。
    亡くなったと聞いているにもかかわらず、『母は絶対生きているに決まっている。これは何かの間違いで、家に帰れば笑顔で迎えてくれるに違いない。』・・・と本気で思っていたのである。


    ・・・が、・・・母は畳の部屋に横たわり、顔には白い布がかけられていた。


    そっと布をとった瞬間が、母の死を認めた瞬間でもあった。


    そして後にも先にもこの時が人生で最も多く涙を流した時間となったのだ。


    その後、怒涛のごとく、時間が流れ去る訳であるが、葬儀に関する一通りの事が終わりホッとしている時に、ある事に気付く。

    私がパッと目覚めてしまった時間、・・・・それは母が事故に遭った瞬間であった。
    そして赤鉛筆が折れてしまった時間、・・・・それは、母が亡くなった瞬間であった。

    54年という短い生涯を閉じてしまった母。
    母に対する供養は私が彫刻をつくり続ける事、・・・そう信じ、今日もたんたんと彫刻をつくり続けるのであった。
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    1. 2010/10/15(金) 09:00:00|
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