FC2ブログ

    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    モデルのある作品と、モデルのない作品。

    秋想と‘04内静  松田光司作
    今までも何度かふれている事だが、私のようなタイプの具象彫刻をつくる場合でも、モデルを全く使わず、作品を制作する事がよくある。

    毎回、断りをいれてしまうのだが、他の彫刻家の事は知らないので、あくまで私の場合はこうであるという話である。

    今まで制作してきた作品の事を考えると、首像、裸婦像、子供の彫刻など、結構モデルなしでも具象彫刻はつくれてしまうものなのである。


    では、モデルがある場合とない場合、どう違うのか?


    こう聞かれた時、実は自分の中では、それほど大きな違いを感じながら制作している訳ではない。

    今までも書いている通り、モデルを使った作品でも、モデルを見ないでつくる時間をとても大切にしていたりするのだ。
    あともう一つ言えば、自分の内側で感じている「透明感」・・・常にこれが作品の基準となっている。

    モデルを使っても使わなくてもこの「透明感」という基準が自分の中では大きなウエイトを占めているのだ。

    確かに、自分がもっと若い頃というのは、モデルなしでの制作は結構きつかったように記憶している。
    結局、イメージする力も貧弱であったし、自分の内側にまだ形をため込んでいなかったという事なのであろう。

    しかし、その辺をクリアーしてしまった今現在は、モデルなしでも充分自由につくる事が出来るということなのだ。


    では逆に、今モデルを使う意味は何なのであろうか?


    その事について簡単に答えるならば、それは私の心の中の窓を開け、風通しを良くするような感覚であるような気がする、・・・・とでも言おうか。

    どんなに自分の中にイメージが降りてくると言っても、モデルを延々と使わないでいると、どこかマンネリ化して煮詰まってしまう部分が出てくるのではないかと思うのだ。

    実際には定期的に、必ずモデルを使っているので、その状態を経験した事はないが、モデルを使いたくなるという事自体、やはり、自分にとってそれが必要なのだという事の表われであろうと思う。

    これもやはりバランスの問題なのかもしれないが、モデルのある作品、ない作品、この両方をつくり続ける事が、多分私にとって丁度良い充電と放電にになっているのであろうと思う。
    スポンサーサイト



    1. 2010/10/14(木) 09:00:00|
    2. 彫刻
    3. | トラックバック:0
    4. | コメント:0
    <<留守番電話・・・・3件のメッセージ。 | ホーム | 粘土状態の時のリアル感。>>

    コメント

    コメントの投稿


    管理者にだけ表示を許可する

    トラックバック

    トラックバック URL
    http://mitsuji415.blog28.fc2.com/tb.php/198-0bab28db
    この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)